「パシフィック・メリディアン」映画祭には、短編、長編、ドキュメンタリー映画、アニメーション、新人など、多くの部門がある。また映画祭には、主な審査員の他に、アジア映画普及団体NETPAC と国際映画批評家連盟(FIPRESCI)を代表する審査員が参加した。今年の映画祭の会長はアンドレイ・コンチャロフスキー監督が務めた。
今年、日本からは2作品が出品された。1つは反戦をテーマにした大林宣彦監督大林宣彦の「海辺の記念館―キネマの玉手箱」、もう1つは映画祭初参加の池添俊監督のショートフィルム「朝の夢」である。
「スプートニク」は池添俊監督に、今回出品した作品について、また映画祭への参加についてお話を伺った。
スプートニク: この映画の主なアイデアとジャンルは何ですか。
スプートニク: つまりこれは個人的なストーリでしょうか。
池添俊氏: 前述の通り、この映画は祖母の声から作られています。祖母は去年の年明けに体調を崩し、もうこの映画を作った時のようには話すことはできません。記憶が混濁したように話す姿を見て、「今あの人は記憶の夢を見ている」と父は言いました。「明け方に見る夢はあの世からのお告げである」という話を聞いたことがありますが、”あの世”とは一体どのような世界なのか誰も知りません。私は祖母の声(記憶)からイメージを膨らませ、愛と浄土(あの世)についての映画を作りました。
スプートニク: それはもっぱら日本の物語なのか、それともユニバーサルのストーリですか。
スプートニク: ショートフィルムは池添様の意識的な選択またはビッグシネマへの第一歩ですか。
池添俊氏: 祖母の話は当初、長編映画を考えていました。今回8mmフィルムで撮影を行いましたが、8mmで撮影したものはデジタルカメラのようにその場では確認できないという不便さがあります。後日フィルムを現像してから初めてそこに何が写っているかわかるのですが、大体半分以上は意図したものが撮れていません。ただ、想像以上のもの(意図しなかったもの)もそこにはあります。それらをもとに映画の構成を再構築する時間が、自分の思考と対話する時間です。今回の対話の結果がこのショートフィルムになりました。祖母と私の生みの母、二人の母についてはいずれ長編映画を撮りたいと思っています。
池添俊氏: 今回、コロナの影響で、映画を招待してくれた4つの映画祭の内、イタリアPesaro映画祭、メキシコBlackCavas映画祭、NY映画祭には実際に訪れることが叶わず、観客の皆さんの声は私にあまり届きませんでした。私の映画は静かな映画なので、観終わってから時が経って返答がくるものだと思っています。観てくれた観客の心に火が灯れば嬉しいです。唯一、フランスMarseille映画祭には現地に参加することができ、一人の女性が上映後に話しかけてくれ、「この映画は後3回観たいわ」と言ってくれました。彼女の言葉は今後忘れることはないと思います。
スプートニク: 日本の映画界には池添 様は特に尊敬する映画製作者は誰ですか。
池添俊氏: 日本の映画界で尊敬するのは、すでに亡くなってしまった相米慎二さん、寺山修司さん、鈴木清順さん、佐藤真さんです。彼らは劇映画、実験映画、ドキュメンタリーという枠を超えた素晴らしい映画作家だと思います。
スプートニク: 池添 様はロシアの映画をご覧になったことがありますか。
池添俊氏: あります。ジガ・ヴェルトフ、ヴィターリー・カネフスキー、タルコフスキーなど素晴らしい詩的な映画人はいつでも私に影響を与えています。
スプートニク: 今回ウラジオストクにいらっしゃるおつもりはありますか。
池添俊氏: 今回はコロナ禍でロシア・ウラジオストクにいくことはできませんでした。前作『愛讃讃』に続き本作『朝の夢』も上映してくれた唯一の国際映画祭です。次回こそは現地に赴き、直接ロシアの皆さんとお話がしたいです。
映画祭「パシフィック・メリディアン」はウラジオストクだけでなく、沿海地方全体にとっての重要な文化イベントである。映画祭ではおよそ2,500本の作品が上映され、100万人以上が鑑賞した。毎年、映画祭は9月の前半に開催されているが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大のため、会期を延期して開催された。