CIS諸国の大使らとシャシコフ氏は、東京の多磨霊園で行われたゾルゲ氏生誕125周年記念式典に出席。式典でシャシコフ氏は、ゾルゲ氏の墓の権利は、墓の世話をしていたゾルゲ氏の内縁の妻、石井花子さんが亡くなった後、一昨年に亡くなった石井さんの姪に移っていたことを伝えた。
シャシコフ氏は、「今年、一定の法的手続きを経て、石井花子さんの相続人が、ゾルゲ氏の墓の権利を在日ロシア大使館に譲渡するという遺言書を作成した。そのため今、この墓の全責任は我々にある」と述べた。
式典には、駐日アゼルバイジャン、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン大使が出席。駐日ロシア大使のガルージン氏は式典で、ゾルゲ氏が旧ソ連の各共和国の自由と独立を守ったと述べた。
式典では、儀仗兵が参加。ゾルゲ氏の墓には花輪と生花、儀式用のウォッカの酒杯とピロシキが供えられた。
偽名は「ラムゼイ」
リヒャルト・ゾルゲ氏は、ソ連の伝説的なスパイ。日本で「ラムゼイ」や「インソン」という偽名で活躍し、死後ソ連邦英雄の称号が贈られた。ゾルゲ氏は、ナチス・ドイツのソ連侵攻の正確な日付を把握し、1941年9月には日本がドイツ側の戦争に参加しないという情報をソ連に伝えていた。この情報により、ソ連は1941年秋、シベリア師団をモスクワ防衛のために配置させることが可能となった。ゾルゲ氏は1941年、日本で逮捕され、44年に処刑された。
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