秘密にされたソ連時代の核爆発演習 その演習の詳細を当時の参加者が語る

ソ連で数万人が被爆することとなった「トツキー軍事演習」により、その現場周辺は動物の死体や翼が熱で溶けた飛行機で埋め尽くされていた。この核爆発を伴う演習は、秘密裏に行われた。当時18歳で参加したタマラ・ポポワさんが今回、この演習の詳細を語っている。ロシアのSNS「テレグラム」のチャンネル「バザ」が、ポポワさんの言葉を引用して伝えている。
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空中爆発

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1954年9月14日、オレンブルク地方(シベリア)のトツキー演習場で原子爆弾の実験が行われ、その爆発直後、ガスマスクと装着した戦車や歩兵による軍事演習が実行された。この爆発で軍人約4万5000人と少なくとも1万人の地元住民が放射能を浴びたことから、現地では悪性腫瘍や血液疾患を発症する患者が急増した。


ポポワさんの若かりし頃の思い出

ポポワさんは、当時友人と一緒にその演習に参加していたという。ポポワさんたちは科学者で、与えられた課題は、空気の組成を測定することだった。爆発時、ポポワさんたちは塹壕に座っていたという。

ポポワさんは当時のことについて、「爆発実験があると言われただけでした。これは新しい発明であり、その中には原子があるのだと」と語っている。

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演習時、気温は30度に達したが、参加した人々は防寒着を身につけていた。爆発から3時間経ち、周囲が静まりかえった頃、ポポワさんは塹壕から離れた。その時ポポワさんが目にしたものは、バラバラになった動物の遺体だった。

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「牛の肉、焼かれた羊、それらの肉から血が流れていたのを覚えています。私は目にした途端、ヒステリーを起こして号泣してしまいました」


爆発後のこと

ポポワさんは車の中に隠れていたが、医師として働いていた演習場の上官の妻に見つかり、現場に戻るように説得された。一方、ポポワさんの友人は爆発現場に残り、研究室でサンプルを用いた作業を行っていた。

その一週間後、ポポワさんたちは演習場から出ることができた。ポポワさんは、「駅では音楽が流れていました。私たちにはお金が支払われ、果物も出されました」と語っている。その後ポポワさんは潰瘍で病院に入院。骨も痛み、嘔吐の症状もでたという。

一方、ポポワさんの友人は、サマラ(ロシア西部)で入院した。ポポワさんは見舞いに行ったときのことについて、「(友人は)かすかに唇を動かしただけでした。全身が腫れていて、手足はひどく大きく、赤く腫れていました。友人の目は眼窩から飛び出たような感じで、口はゆがみ、全身の形が崩れていました」と振り返っている。友人はその後すぐに亡くなった。ポポワさんは結婚したが、長い間健康な赤ちゃんを産むことができなかったという。

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