ゴルバチョフ氏がソ連政界のトップとして活動していた時代、全世界に影響を与える抜本的な変化が起きた。ソ連のシステムを大規模に変革しようとした「ペレストロイカ」、民主主義的選挙の導入、共産的なイデオロギー、共産党の単独の拒絶、情報公開の「グラスノスチ」、言論、出版の自由、市場経済への移行。冷戦の終結、ソ連軍のアフガニスタン撤退も行われた。そしてソ連崩壊。この崩壊をソ連のエポックを懐かしむ多くの元ソ連人らは、これが起きた原因はゴルバチョフ氏にあると未だに非難している。
ゴルバチョフ氏自身は自身の政治信念を次のように規定している。
「私は政治を科学、モラル、道徳、市民に対する義務と合わせようと努力した。すべてがうまくいったわけではないが、方向性が間違っていたとは思わない。」
ゴルバチョフ氏は今までに3度、日本を訪れているが、そのいずれもが4月だという。初の訪日は1991年の公式訪問。当時、ソ日平和条約の極めて苦しい交渉が行われていた。その翌年、1992年、1993年と日本から招待を受けた時は、ゴルバチョフ基金の会長として訪れている。
今年は卒寿という大変おめでたい誕生日ではあるが、ご本人は現在治療を受けるために入院中で祝賀は延期されている。