女性と子どものため復興に奔走した10年:福島学院大・桜田葉子学長「20キロ圏内と圏外のギャップ大きい」

東日本大震災が起きたとき、福島県会議員だった桜田葉子さん。自転車で福島市内の避難所をまわり、女性や子どもたちの避難生活をサポートした。復興集中期間には、男性が大多数を占める福島県議会の中で、子育てや医療環境の整備を中心に数々の条例を提案し、政策を実現してきた。桜田さんは現在、福島学院大学の学長として、福島で生きる次世代を育成し、地元産業の再生にも尽力している。スプートニクは桜田さんに、震災直後の福島の様子を回想してもらうとともに、福島の復興はどの程度実現していると思うか、話を聞いた。
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生理用品の不足、ミルクを飲まない赤ちゃん

桜田さんは、自身も被災した中、避難所となった5か所の県立高校や、総合体育館などを自転車で巡回した。避難してきた人たち一人ひとりに必要なものを聞いてまわり、特に支援の行き届かない生理用ナプキン、オムツ、ミルク、お尻ふき、女性用下着などを調達。毎日避難所に通っていたため、避難してきた人たちから、県会議員でなく学校長だと思われていた。

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桜田さん「生理用品は一番困りました。ナプキンを一つや二つもらっても、間に合うわけがありません。避難所を回った後、その足で県の対策本部に行くんです。ナプキンが足りないと訴えても、そもそも物資がありませんでした。そこで個人的に様々なルートで、色々な方からナプキンをもらいました。なんとか、必要な方に、2パックずつ配布することができました。」

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「赤ちゃん用のオムツも、成長に合ったサイズが必要ですが、サイズがバラバラのものを数枚しか配布できず、オムツの上にタオルを敷いたりしました。お風呂にも入れないので、赤ちゃんのお尻は真っ赤になっていました。忘れられないのは、商業高校の避難所にいた、ほとんどミルクを飲まない赤ちゃんのことです。お湯をわかせないので、そこにいた人たちみんなで交代で手でミルクびんを温めて、振って、少し溶けたものを飲んでもらおうとしました。このままでは死んでしまうかもしれず、涙をこらえていたところ、ドクターヘリが来てくれました。みんなで赤ちゃんの命を繋いだことは、今でも忘れられません。」

避難当初の食事はおにぎりだけだったが、日が経つにつれ、避難所となった高校の周辺に住む農家による炊き出しや、、様々な団体による温かい食事の提供があった。避難生活も1か月が過ぎた頃、旅館やホテルへの二次避難が始まった。ある避難所の解散前夜の夕食メニューには、被災者からリクエストの多かった卵かけご飯が出た。その避難所には300人が暮らしていたが、桜田さんたちの呼びかけで近隣の色々なところから生みたての卵を人数分集めることができたのだ。

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小学校1年生の子どもたちには、寄付で集まったランドセルを贈呈した。しかし浪江町から避難してきた男の子は、桜田さんに「おばちゃん、ランドセルなんかもらっても、本当に浪江に帰れるの?学校に行くって言っても服も靴もないよ」と言った。そのことは、今も桜田さんの頭から離れない。

桜田さんは、避難所から救急車で運ばれる人を何度も見た。せっかく助かった命だが、病院で亡くなる人はとても多く、身元がすぐにわからない人もいた。看護師から「病院は遺体でいっぱい」という相談を受けた桜田さんは、避難後に被災者が病院で亡くなった場合の、遺体を運び、火葬するまでのフロー作りを働きかけ、実現。残された被災者家族の負担を軽減することにつながった。

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子どもたちを守る様々な取り組み

子どもたちの命を守ろうと桜田さんは奔走した。議会では通学路など、子どもの行動範囲における放射線量の低減対策について提言し、総額予算358億円にものぼる「ふくしまの子どもを守る緊急プロジェクト事業」創設につなげることができた。

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子ども専門の医療体制の整備や拠点の充実、小児がん治療体制の整備など、子どもたちの健康に関わる提言もしてきた。結果、福島県立医科大学内に県内初の子ども医療センターがオープン。さらに子ども医療センターに県内初の子ども専用ICUができ、小児腫瘍科も開設されるなど、医療体制の充実が実現した。

放射線に対する知識がある人はほとんどおらず、情報は錯綜し、何がOKで何がダメなのか、福島県民は混乱していた。そこで、「これを食べても良いのか」など日常的な疑問を解決するため、桜田さんは、福島県内の薬局を放射線相談の拠点とするよう薬剤師会と共に提案した。結果、放射線や被ばくに詳しい薬剤師「放射線ファーマシスト」の養成が決まり、薬局に行けば適切なアドバイスが得られるようになった。

女性と子どものため復興に奔走した10年:福島学院大・桜田葉子学長「20キロ圏内と圏外のギャップ大きい」

震災から10年で、福島の復興はどのレベルまで進んだと思うか、率直な意見を聞いた。

桜田さん「福島の復興の歩みは世界史に残るものですが、一方で、復興過程が日々の生活にとけこんで見えにくくなっており、震災の風化を懸念しています。生きるか死ぬかという次元から、普通の日常生活が当たり前になって久しいです。福島は広く、原発から20キロ圏内と圏外では、ギャップが大きすぎ、20キロ圏内の復興が課題です。」


福島再生に必要な大学として

桜田さんは、自身が学長を務める福島学院大に、地域連携センターを設立。このセンターの活動を通し、被災地にある大学として、地域の再生に取り組んでいる。外部からの研究者やフィールドワークの依頼を積極的に受け入れるほか、特産物の開発やPRに協力するなど、福島の新たな魅力づくりの手助けもしている。最近では、飯野町のNPO法人「結倶楽部」が栽培を進めている巨大ニンニク「UFOエレファントガーリック」のブランド化に成功した。

女性と子どものため復興に奔走した10年:福島学院大・桜田葉子学長「20キロ圏内と圏外のギャップ大きい」

桜田さん「先月は、浪江町を訪問しました。浪江町に開設される「道の駅」に、鈴木酒造という酒屋さんが入るのですが、そこの酒粕を使ったクッキー「酒粕バー」を、本学の学生が作りました。浪江町長は、若い人たちが浪江に来ることをとても喜んでくれました。復興が進んでも人がいない、ということにならないよう、福島学院大は、公私ともに福島を支える人材を育成するのが使命だと思っています。そして地域連携センターを通してつながった人たちが活動に生きがいを見出せるよう、販路の開拓など、あらゆることをお手伝いしています。」

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桜田さんがライフワークとする、子どもを守る活動も継続中だ。まもなく、「ふくしま子どもの心のケアセンター」が福島学院大の駅前キャンパス内に設置される。原発事故後、様々な場所で子どもの心の支援をしてきた専門家たちが、このセンターを通じて横のつながりを持ち、組織化され、それぞれの知見を生かして活動を継続していく。近年、震災時にはまだ生まれていなかった子どもの言動にも、震災の影響が出ていることがわかっており、新センターは、子どもだけでなく、親の精神面のサポートにも取り組んでいく。

「こんな原発事故を経験したのは日本で福島だけ。復興の歩みを学びにしていく」と話す桜田さん。実際に福島に来て、復興の様子を肌で感じてもらいたい、と呼びかけている。

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