「福島の子ども、メディアに強い人材に育てたい」番組作りを通して震災の記憶を継承

© ©Ayano Kubota「ヴォイス・オブ・フクシマ」久保田彩乃さん
「ヴォイス・オブ・フクシマ」久保田彩乃さん - Sputnik 日本, 1920, 08.03.2021
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東日本大震災から丸10年を迎え、記憶の風化が叫ばれる中、多様な福島の被災者の声を一貫して伝え続けてきた人物がいる。原発事故後の福島の姿と魅力を伝えるラジオ番組「ヴォイス・オブ・フクシマ」の共同設立者、久保田彩乃さんだ。「ヴォイス・オブ・フクシマ」の放送回数は今年2月末で400回を迎えた。また、久保田さんは避難先の仮校舎で学ぶ小学生に、ラジオや映像番組の制作を指導し、子ども達が自ら震災について学び、他者に情報発信していくためのサポートをしている。スプートニクは久保田さんに、震災後の地域メディアのあり方と、その活用術について話を聞いた。

全国メディアが報じる「フクシマ」に違和感

久保田さんは震災翌年、県内のコミュニティラジオ局で共に番組を制作していた佐藤正彦さんと共に、「ヴォイス・オブ・フクシマ」を立ち上げた。プロジェクトを始めた動機について、久保田さんは次のように振り返っている。

久保田さん「福島はとても広く、被災者と言っても考え方は千差万別です。でも、全国メディアでは、原発事故に関連して、『福島は大丈夫』『もうダメだ』『福島に残るべきだ』『いや、逃げるべきだ』などと、二元論で物事が語られていて、それに違和感を感じていました。そこで、コミュニティラジオで取材している私たちだからこそ、福島の人のリアルな声を記録して、発信したい。福島の多様性を伝えるために、インタビュー番組を作ろうと思いました。」

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最初は郡山市のコミュニティラジオのみで放送していたが、2013年から福島県富岡町臨時災害FMのスタッフを兼務することになり、その縁で東北の他の被災地や、阪神大震災の被災地神戸、土砂災害の被害を受けた広島など放送網が増え、現在では全国8局のコミュニティFMで放送を継続中だ。そういったラジオには地域情報全般に関心の高いリスナーが多く、自分の地域で起こったことでなくても熱心に聴いてもらえる。久保田さんは「ヴォイス・オブ・フクシマは、全国メディアより、こういう地域密着のスタイルが合っている」と話す。

久保田さんが取材を進める中で、福島の被災者の多様性を実感したエピソードがあった。

久保田さん「会津地方には、福島第一原発のある大熊町の方々が多数避難しており、私は会津へ取材に行きました。大熊町の方はリアルに被災の状況を語り、会津の人が温かく受け入れてくれて助かっている、と話してくれました。いっぽう会津に長く暮らす80代のおばあちゃんは、『うちは何の被害もなくて、テレビで見て大変さは知っている、私ばかり何もなくて申し訳ない』と言って泣くんですね。同じ福島県民でも、被災状況や心情の違いがとても大きい。1日の取材の中でその違いを垣間見たのは印象的でした。

震災後はつい、『周りに比べてこれだけですんで良かった』とか、『うちの方がもっと大変だった』など、被災の重さ比べをしてしまいます。被災度合いが重ければ重いほど、語る内容も重く、発言力も増します。一方で、自分の受けた被害は誰かと比べて大したものではないと考えて、口を閉ざしてしまう人もいました。被災者だけれど何も語れないという、そういう葛藤がある方が多かったと思います。」

久保田さんらは現在、これまで放送してきた「ヴォイス・オブ・フクシマ」をカテゴリーや地域ごとにわけ、デジタル震災アーカイブとしてさらに活用できるようにする方法を考えている。

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「ヴォイス・オブ・フクシマ」久保田彩乃さん
© ©Ayano Kubota子どもたちに指導する久保田さん
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子どもたちに指導する久保田さん
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制作のポイントを伝える - Sputnik 日本
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制作のポイントを伝える
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「ヴォイス・オブ・フクシマ」久保田彩乃さん
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子どもたちに指導する久保田さん
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分断した被災者、メディアの力で再度つなげる

震災後、多くのメディアが福島県に入ったが、それはメディア不信を呼び起こした。被災者がテレビの取材に受け答えしたことで、発言が自分の意図と全く違う風に切り取られたり、そのせいで周囲から誤解を受けて人間関係が悪くなってしまう、ということはよくあった。久保田さんも、そういう光景を幾度となく目にしてきた。

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久保田さん「私も災害FMの取材で、仮設の小学校を訪れました。そこの子どもたちはメディアのインタビューに答える機会が多く、どうも、空気を読んで、大人が期待する受け答えをすることに慣れている感じがあったんですよね。例えば、避難前のふるさとの町についてどう思いますか、なんて質問があると、早くふるさとに帰りたいです、なんて答えるわけです。それには違和感を感じました。そこで、子どもたち自身が、自分達の伝えたいことを、もっと自由に楽しく発信できる場を作りたいと思いました。」

こうして、久保田さんのもうひとつの活動が始まった。原発事故によって富岡町から避難した子どもたちが通う、富岡第一および第二小中学校の仮設校舎「三春校」で、ラジオ番組や映像制作を指導することになったのだ。これは、2014度から現在に至るまで、三春校における小学5年生の毎年恒例のカリキュラムとなった。

開始当初は、仮設校舎での様子をラジオで流すことによって、大人の被災者が、地域の子どもたちの様子を知ることができた。久保田さんは「子どもたちに校歌を歌ってもらって放送したときは、仮設住宅の高齢者の皆さんがとても喜んでくれました」と振り返る。被災して散り散りになった地域の子どもと大人が、ラジオを通じて再度つながったのだ。

メディアの作り手になることで震災の記憶を継承

久保田さんは、震災から時間が経つにつれて、活動の目的が変わってきたと実感している。今の小学5年生は、生まれたときからずっと避難先にいて、気付いたら仮設校舎の学校に通っていた。学校の雰囲気はとても明るくて楽しい。しかし、この仮設校舎「三春校」は、富岡の復興に伴い、2022年度末に閉校が決定している。そこでラジオではなく、なくなってしまう学校を映像に残そうというプロジェクトに切り替えた。

久保田さん「今の小学5年生は震災を知りません。ですから、映像制作で大人にインタビューすることを通じて、どうやってこの学校ができたのか、避難前の地域はどんなところだったのかを知ることが、そのまま震災の記憶を継承することにもなります。そうして作った作品を発信することで、記憶の風化を防ぎます。福島の子どもたちはメディアにさらされてきました。それを教訓として、この地域の子どもには、メディアに強い人材になってほしい、メディアの基本的な意味を理解した上で、表現活動ができるようになってほしいと願っています。」

久保田さんは、仕事の傍ら東北大学大学院に通い、子どもがメディアを作り発信することは、地域社会にとってどんな意味をもつのか、研究を進めている。

久保田さん「子どもが自分なりの疑問や関心をもって、大人に話を聞きに行くというスタイルが、子どもと大人の新たなつながりを作っていきます。そうすると、避難によってバラバラになってしまった地域住民の人たちも、メディアを通じてもう一度つながることができる。でも、子どもたちに「ふるさと愛」みたいなものを押し付けるつもりは全くありません。むしろこの経験を糧に、どんどん世界に出て行って、色々な表現活動をしてくれたら嬉しいです。」


※記事中の映像作品の著作は福島県富岡町およびヴォイス・オブ・フクシマに帰属します。

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