世界でもっとも美しい食料品店が閉店へ。有名な「エリセーエフスキー」は、日本とどのような繋がりがあるのか?

開店から120周年の記念の年となる2021年4月11日、モスクワ中心部のトヴェルスカヤ通りにある世界でもっとも美しい食料品店の一つ「エリセーエフスキー」が閉店する。「エリセーエフスキー」は1901年に商人、グリゴーリー・エリセーエフが開いた食料品店で、店名には、このエリセーエフの名が付けられている。店内には豪華な内装と輝くクリスタルのシャンデリアが飾られ、数えきれないほどのおいしい食べ物、エキゾチックなフルーツ、品揃えの豊富な高級ワインなどが売られていたことから、店はたちまち大きな話題となった。
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エリセーエフスキーの近くにはモスクワの有名なパン屋、フィリッポワがあった。この建物は現在も、トヴェルスカヤ通り10番に残っている。1907年、トヴェルスカヤ通り24番地に、モスクワでもっとも大きな日本商店「イポニカ」がオープンした。この「イポニカ」のオーナーは日本人企業家の横井喜三郎で、この近くに住んでいた。横井喜三郎の娘のタマーラとメリーは幼年時代、パンが大好きで、フィリッポワのパン屋に足繁く通っていたという。もしかすると、商人エリセーエフの息子、セルゲイはそこで日本の少女と出会い、日本に関心を持つようになったのかもしれない。あるいは日露戦争が彼に関心を抱かせたのかもしれない。いずれにせよ、セルゲイは日本語を勉強しようと決意し、後に帝政ロシアのみならず、西側でも活躍する最初のプロの日本研究者の1人となった。

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セルゲイはまず、ベルリン大学で学び、その後、東京帝国大学で初のヨーロッパからの留学生として受け入れられた。セルゲイは学年でもっとも優れた学生の1人とされたが、卒業論文には「芭蕉研究の一片」という題名が付けられている。セルゲイ・エリセーエフは、若手文学者の集まりだった木曜會に通うようになり、自分は夏目漱石の弟子だと考えていた。あるときセルゲイは、漱石の勧めで、朝日文芸欄に掲載するため、ロシア文学についての評論をいくつか執筆した。1912年、セルゲイ・エリセーエフは東京大学の大学院に入学し、その2年後、ロシアに戻った。ロシアでセルゲイはペテルブルク大学の私講師となり、外務省の通訳として働いた。それから数年後、エリセーエフはロシア東洋学者協会の日本部門の代表となった。残念ながら、エリセーエフが文学博士の称号を得ようと執筆した芭蕉の作品をテーマにした論文は1917年の革命で焼けてしまった。そしてその後、エリセーエフは家族とともにフランスに亡命した。

パリで日本の外交官でのちに首相となる芦田均の推薦で、日本大使館の通訳として勤務するようになったセルゲイは、のちにソルボンヌ大学で日本語と日本文学を、またエコール・ド・ルーブルで日本芸術史を教えた。1932年、彼は米国から招聘されてハーバード大学の教授となり、東洋言語学部を創設、ハーバード・アジア研究誌を創刊した。エリセーエフはほぼ四半世紀にわたって、この大学で、日本研究、また中国、韓国、モンゴルの研究を牽引したが、1975年4月13日にパリで死去した。

現在、この店舗がある場所(歴史的な価値のある優雅な内装を持つ5,300平米の土地)を所有しているのはモスクワ市政府で、市は25億ルーブルの値をつけ、入札によって売却する準備を進めている。というのも、この建物は文化財となっているため、購入者にはこの歴史的建築物を保存し、敷地の主な部分を食料品店として使用する義務が課されるのである。店舗以外の部分は自由に使うことができるという。しかし、今のところ購入希望者は見つかっておらず、商店は期限なしに閉店されることとなった。

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