滑稽で悲しい チェルノブイリ事故処理作業者が当時のジョークについて語る

1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所事故が起こった。ウクライナの首都キエフに住む元事故処理作業者のアレクサンドルさんは、その当時よく語られていたジョークについて「スプートニク」に語った。事故処理作業者たちの間では当時、「放射線は有刺鉄線を超えて飛ぶことはない」という冗談が「流行っていた」という。
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マルハナバチの繁殖能力低下 「安全」とされているチェルノブイリの放射線量で
アレクサンドルさんによると、1986年5月初旬、アレクサンドルさんが通っていた大学の学生たちは、事故処理作業に参加するため、現地に派遣されたという。学生たちは、原発から半径30キロの立入禁止区域の近くに避難者のための住宅などを建設した。

「実際のところ、これがどのような結果をもたらすのか、これがどのような事故なのか、誰も知りませんでした。奇妙でわけのわからない噂がたくさんありました。それは、人々が光り出すというものでした。実際のところ、情報は一切ありませんでした。当時、チェルノブイリについて話すことは事実上、禁じられていました。」

またアレクサンドルさんによると、当局からの情報が不足していたため、事故処理作業者たちの間では、事故について、米国による陰謀説や宇宙人が来たなどの馬鹿げたものまで、さまざまな説が広まっていたという。

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滑稽で悲しい

またアレクサンドルさんは「私たちが働いていた場所から有刺鉄線で囲まれた30キロの立入禁止区域の境界まで200〜250メートルでした。

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その少し先の、この禁止区域内の500〜600メートルのところに村があり、私たちはそこから住民たちを新しい村に移住させました。なお、私たちが住宅を建てていた間ずっと、人々は(有刺鉄線に囲まれた30キロ圏内の)その村に住んでいました。私たちの間では、放射線は有刺鉄線を超えて飛ぶことはないというジョークがよく語られていました。そうでもしなければ、この2つの村が隣接していることを説明できなかったからです」と語った。

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