選挙前のテレビ討論でパシニャン暫定首相は、アゼルバイジャン軍との紛争により、ナゴルノ・カラバフでは3705人が死亡したほか、268人が行方不明、さらに60人が捕虜になっていることを明らかにした。
アルメニア側には、さらに110人がアゼルバイジャン軍の捕虜になっているという情報もあるという。
紛争開始以来、アルメニアには捕虜のうち89人が帰還した。そのうち6人は紛争開始前に捕虜となっていた。
紛争はナゴルノ・カラバフ自治州がアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国からの離脱を宣言した1988年2月に始まった。1992年から1994年の武力衝突でアゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフ及び隣接する7つの地域の支配権を失った。
アゼルバイジャンは領土保全を主張しているが、ナゴルノ・カラバフは交渉当事者ではないためアルメニアがナゴルノ・カラバフの利益を擁護している。
2020年9月末、アルメニアとアゼルバイジャンの間で紛争が再開した。ロシアによる仲裁の結果、紛争当事国は11月10日にようやく停戦合意に至った。これにより、両国は戦闘行為を停止し、捕虜と戦死者の遺体交換手続きを開始した。また、アルメニア側はアゼルバイジャン側に3つの居住区を譲渡したほか、紛争地域にはロシアの平和維持軍が展開する形となった。
19世紀から現在までナゴルノ・カラバフは住民の8割以上がアルメニア人。残り2割はアゼルバイジャン人、ロシア人、その他民族。
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