接近し続ける中国とロシア

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と中国の習近平国家主席は6月27日、テレビ電話による協議を行い、その中で、20年前に締結した中ロ善隣友好条約を、失効の半年前までに延長する意向を明らかにした。EU諸国や日本も賛同を表明している対中国包囲網を形成するという米国の発案を背景に、ロシアと中国の首脳は今後もこうした試みに共同で対抗して続けていく用意があることを確認した。
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1950年に締結された中ソ友好同盟相互援助条約は、第二次世界大戦後の最大の成果の一つである。人口と国土面積で世界の3分の1を占める、ユーラシア最大の2つの大国が思想と政治を基に結びついたのである。他でもないこの同盟関係が冷戦初期における安全およびソ連への影響力の基礎となった。

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しかしながら、中ソ関係の蜜月は1953年、スターリンの死去とともに終焉を迎える。そして12年後の1968年、2つの共産主義大国の思想的および軍事的対立は、ソ連と中国の国境での紛争を引き起こすこととなる。かつての同盟国は戦争の一歩手前にいたのである。このことは、ベトナム戦争での失敗し、ニクソン大統領退任とオイルショックによる国内政治における危機のあと、息を吹き返す絶好のチャンスとなった。

伝説的な政治家である米国のヘンリー・キッシンジャー元国務長官の努力により、米中関係は正常化し、ソ連は中国と欧米という2つの陣営による「冷戦」を、ゴルバチョフの時代まで手にすることとなった。こうした状況が、ソ連の過剰な緊張とその後の崩壊に向けた重大な要素の一つとなったことは疑いようもない。

しかし、近代化の時代に、新生ロシアにも、中国にも、対立は必要なかった。両国が有する長い国境の安全と、経済的利益から考えても、政治的関係を正常化する必要があった。そこで、こんにち20周年を迎える新たな条約が結ばれたのである。

米国、そして日本を含めたその同盟国の抵抗があったとはいえ、この条約が1990年代のロシア外交の最大の成果となったというのは誇張ではない。ちなみに、米国とその同盟国はある意味で中ロの関係を助けてもくれたのである。

米国が1999年にベオグラード(旧ユーゴスラビア)への空爆を行ったとき、ロシアと中国の真価が試された。戦後初めて、米国に従おうとしないヨーロッパの国の首都に、空爆が行われたのである。ロシアはこれを受け、然るべき結論を導き出した。

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2001年にウラジーミル・プーチン大統領が署名した条約には第9条が追加された。その内容は「締結国のいずれかが、平和に対する脅威を作り出し、平和を破壊し、その国の安全保障に対する利益に影響するとみなすような状況となった場合、またいずれかの国に対する攻撃の脅威が生じた場合、両国は遅滞なく連絡を取り、生じた脅威を取り除くべく協議を行う」というものである。

これは軍事同盟の創設ではなく、その用意があるということを意味している。

最近、プーチン大統領はこうした立場を、習近平国家主席とのテレビ電話による協議でも改めて口にし、なにより、「条約には、国家統一や領土不全を守るために互いに支援し合うような基本的な合意が明記されている」点に注目した。

どうやら、ロシアが「中国に過剰な圧力をかけられている」とするバイデン大統領の陰鬱な発言も、ロシアと中国の権威主義に対する非難も、天然ガスパイプライン「ノード・ストリーム2」の一時的な制裁解除も、ウクライナの紛争地域の情勢を不安定化するという明らかな脅迫も、ロシア政府には効力を発揮しなかったようである。

ロシアと中国の国境は4,200キロに及んでおり、ロシアは安定した中国との国境を必要としている。また両国の貿易高は1,070億ドルに達しており、ロシアは中国との安定した経済協力を必要としている。加えて、戦争と平和に関する世界の主な問題、環境保護、科学技術分野での協力も必要としている。

ソ連時代にあったような、結果的に米国に利益を与えることになる中国との新たな対立は、いまのロシアには必要ないのである。そしてそれは中国にとっても同様である。

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