10年ぶりにロシアから帰国した日本人が語る「わたしが驚いたこと」

新型コロナウイルスの感染拡大により、海外に住む多くの外国人が予期せぬ帰国を余儀なくされている。鈴木岳尚さんもそんな1人で、10年間ロシアで働いていたが、最近、日本に戻り、タクシー運転手としての職に就いた。そんな鈴木さんが「スプートニク」のインタビューに応じ、ロシアに魅かれた理由、そして警察に捕まったときに自分の苗字に助けられたエピソードなどを語ってくれた。
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ロシアが好きになった

「2009年にシベリア鉄道でウラジオストクからモスクワまで旅行して、ロシアとロシア人のことが大好きになり、2011年に、1番印象深かったモスクワへ留学生として来ました。それからもっとロシアが好きになって結局10年近く住みました。」

ロシアに滞在中、鈴木さんはツイッターのブログで、自らを「モスクワの日本人」と名乗り、ロシアで驚いたことやロシアでの日々について綴った。

この間、鈴木さんは、モスクワとサンクトペテルブルクで生活したが、どちらの街が好きかという質問には今も答えられないと話す。

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「モスクワはとにかく成長が著しくて次々に新しいメトロの駅や公園やサービスが生まれていて毎日が刺激的でした。しかし人が多すぎてどこへ行くにも渋滞に嵌るので車の中で貴重な時間が浪費されてしまうのが辛かったです。ペテルブルクは白夜の時期にあの街で過ごすのは最高でした。ペテルブルクは散歩嫌いな自分に散歩する楽しみを教えてくれました。ただ、町が自由過ぎるせいか交通マナーが悪くて運転するのは結構怖かったです。」

ロシアでの生活の中で、面白い出来事が多々あったが、あるとき、交通警察に罰金を取られそうになったとき、日本の苗字を告げたことで難を逃れたことがあったという。

「モスクワだけじゃないんですが、自分の苗字が自動車メーカーと同じなので、日本人なのにロシアのどこに行っても一発で覚えてもらえてすごく楽でした。例えば苗字のおかげで寮も顔パスになりましたし、レストランを予約する時も『車と同じです』と伝えれば良かったです。また、モスクワの交通警察に止められた時は免許証を見せたらそんな苗字の人間がいるとは思わなかったと爆笑され、そのままお巡りさんと日本車トークに花が咲きました。」

「ロシア式の方がストレスが少なく働きやすかった」

鈴木さんは、ロシアで、日本、そしてロシアを訪れる日本人に関わる仕事をしていたことから、新型コロナウイルスの感染拡大と露日間の国境閉鎖を受け、帰国を考えざるを得なくなった。

「日本語教師と訪露する日本人のアテンドや通訳などサポート全般をやっていました。また、仕事ではないですが、雅というモスクワの和太鼓のグループに所属して時々イベントなどに出演していました。」

​鈴木さんは長年ロシアに住んでいたが、それでも、ロシアで仕事をするにあたり、ロシア人との間で予想外の事態が起こることはあったという。

「日本人の習慣や常識とロシア人のそれが違いトラブルになる場面がよくあり、その間に立つ自分は板挟みになってしまい、双方に事情を説明したり解決方法を探したりするのが大変でした。また、ロシアは不安定要素が多いので常にプランBを用意しておがなければならず、いつも準備が大変でした。」

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日本に戻った鈴木さんは、メンタリティの違い、仕事に対する態度の差はあっても、自分には、ロシアのスタイルがより合っていたのだと気付いたと話す。

「日本人は仕事のプロセスやミスしないことに非常にこだわっているなと思います。コンプライアンスで自分の首を締めているんじゃないかなと。ロシアは結果が全てで途中のことはあまり気にしていないように感じました。どんなに難しい案件でもあらゆる知恵や手段を駆使してなんとか実現させるロシア人のやり方が自分は好きです。正直、自分にとってはロシア式の方がストレスが少なく働きやすかったですね。」

日本ではタクシー運転手として働いている鈴木さんだが、以前は気にならなかったことが今は奇妙に感じられると話す。

「ロシアにはあまりいないと思いますが、日本だとタクシーの中で急にビールを飲み始めたり、横になって寝たりする人が結構いて驚いています。」

鈴木さんはもし再びロシアに戻るチャンスがあれば、モスクワとペテルブルクを行き来しながら暮らしたいと話している。

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