ダブルスタンダード
日本国内の感染者の数は、8月の時点で160万人を上回った。つまり、もはや誰の周囲に感染者が出ても不思議ではない状況となっている。
しかし、新型コロナウイルスへの感染は依然として「恥ずかしい」ことであり、多くの人々が感染拡大が始まった頃と同じように、周囲の人々のネガティブな反応を恐れ、感染したことを口にするのを躊躇う。そしてこれが芸能人や有名人となると、事情はさらに複雑なものとなる。コロナに感染した著名人の多くは、多くの人々と同じように、感染したことを公に謝罪するというのが慣例となっているのである。有名な政治家も、俳優も、スポーツ選手も、テレビの司会者も、皆、「深くお詫び申し上げます」というお決まりの文句で謝罪する。
実際、有名人らは、結婚、離婚、出産など、私生活について公表することが多い。たとえば、白血病を克服した水泳の池江璃花子選手のように、セレブや著名人が自身の病気について公表した場合には、慰めや応援の言葉が送られる。しかしこれがコロナウイルス感染となると、すべてが変わってくるのである。
新型コロナウイルスに感染した著名人は、公式に謝罪すべきだと思いますか?
謝罪が問題になるとき
社会では、新型コロナに感染するのは、マスクの着用や社会的距離、最大限の隔離といった規定を遵守しないからだという考えが広まっている。たとえば、最近、愛知県で開催された音楽フェスティヴァル「波物語2021」での例のように、規則違反によって感染者が出た場合、周囲からの非難はけして免れない。しかし、感染の理由を正確に特定することができないような場合―たまたま不運が重なるとか、免疫が弱っていて感染した場合はどうだろうか。
読売新聞に掲載された調査結果によれば、多くの感染者が周囲に迷惑をかけたという自責の念や不安感のために、抑うつ症状に悩んでいるという。九州大学と国立精神・神経医療研究センターが行った世論調査でも、感染者の多くが精神的な不調に悩んでいることが明らかとなっている。
2020年1月から10月にかけて、感染者から全国の精神保健福祉センターに寄せられた相談(115件)のうち、もっとも多かった内容は「人間関係の困難」、「不眠」で、それに次いで、「抑うつ状況」、「偏見や差別」などであった。中には自殺をほのめかすような内容のものもあったという。
調査に参加した九州大学病院精神科の中尾智博医師は、「感染することで周囲との摩擦や罪責感が生じ、感染者の心の健康に深刻な影響を与えていることがうかがえる」と指摘している。同病院では、コロナ禍以降、精神科を受診する患者が増加傾向にあるという。中尾医師は、「不安感や自責の念などは、誰かに聞いてもらうだけでやわらぐ。一人で抱え込まないことが大事だ。行政は、感染者の精神的なケアにしっかり取り組めるような体制を充実させてほしい」と述べている。
責任者を追求しても解決には繋がらない
大阪大学の三浦麻子教授らが実施した世論調査によれば、日本人は他の国の人に比べて、新型コロナウイルスに感染するのは本人が悪いと考える人が多いとの考えを示している。研究者らは、「国内で感染者が非難されたり、差別されたりしたことと、こうした意識が関係している可能性がある」としている。
こうした結果から、三浦教授は、「日本ではコロナに限らず、本来なら『被害者』のはずの人が過剰に責められる傾向が強い。通り魔被害に遭った女性が、『深夜に出歩くほうが悪い』などと責められることもある。こうした意識が、感染は本人の責任とみなす考えにつながっている可能性がある」と指摘する。また三浦教授は、感染者を非難することは、感染を抑制するのではなく、感染をさらに増やすことになると説明し、次のように述べている。「こうした行為は、感染者が責められるさまを見た人々に『自分も負の烙印を押されたらたまらない』と思わせる。そんな人たちは、自らは感染している可能性が高いと思っても、または感染を示すような症状が出ても、それを隠して普段通りの生活を続けるかもしれない」。
感染者、回復者の増加に伴い、精神的ケアの必要性も高まっているが、地域の自治体は依然、これに対処できないままとなっている。NHKが全国の都道府県や政令市で調査を行ったところ、地元政府では新型コロナウイルス感染者に対する精神的ケアのための十分な対策がほとんど講じられていないのが現状である。
一方、神奈川県は2020年の春に自宅療養している人たちを対象とした電話相談窓口を設けた。政府が新たな問題や困難に対処できていないのは明らかである。しかし、感染者の心のケアのためにわたしたち一人一人にできることがある。それはコロナに感染した人を責めない、非難しないということではないだろうか。