「それは職場恋愛だった」
「彼は契約でサハリンに来たのですが、わたしがその会社で働くようになり、知り合いました。いわゆる職場恋愛で、職場の皆の話題となっていました。契約が終了するというので、わたしたちは結婚しましたが、その時、ロシアに残るか、日本に行くかを決めなければなりませんでした。しかし、もうまなみさんのサハリン生活も5年になり、サハリンでいろいろなコネクションもできていました。一方で日本でのコネはもう失われていたのです」。
オリガさんによれば、長いこと考えた後、2人はサハリンに残ることに決めたという。ビジネスを始め、それを発展するのには日本よりサハリンの方がより大きなチャンスがあると考えたからである。オリガさんは言う。「その後、わたしたちは日本に行ってビジネスを始めなかったことを何度も後悔しましたが、ここに残ったことを後悔したことは一度もありません」。
3ヶ国語の生活
日本とサハリンは地理的には近くにありながら、文化においても言語においても違いはある。
「まなみさんと暮らす中で、わたしが一番最初に教わったもっとも重要なことは、忍耐です。わたしは衝動的で、感情的で、待つということが苦手です。まなみさんとの生活、そして日本への旅はわたしに忍耐というものを教えてくれました。待つということを習得しなければならず、行列に並ぶことからも満足を感じなければなりません。今では、どんな状況をも楽しみ、その瞬間その瞬間に満足を得ることを学びました」。
日常生活において2人は両方の母国語を話すが、知り合ってからこれまで2人は英語で会話しているという。また2人の息子は父親とは日本語で、母親とはロシア語で話すのだそうだ。
「家庭の中では常に3カ国語が使われています。誰が何語で何を言ったのかよくわからないことがあります。皆がその時思いついた言葉で話し、皆、すべてを理解するからです」。
「島が好き。わたしたちはここで自分自身を見つけた」
家族は10年間、菓子店を営んでいたが、結局、店を閉めることになった。現在、まなみさんは日本食レストランでシェフとして働き、オリガさんはサハリンでの生活についてブログを書いている。そのブログには25,000人のフォロワーがいる。この数は人口の少ないサハリンではかなり多いと言える。
オリガさんは冗談まじりに言う。「まなみさんは、数年にわたってロシアで生活する中で、すっかりサハリン人と化しました。ロシアの自動車ニヴァで仕事に行き、運転の荒い人たちにロシア語で罵倒し、地元の自然をとても大切にしています」。