旅の始まり
尹錫悦氏は1960年12月18日に首都ソウルの教授の家庭に生まれた。同氏の父親、尹起重(ユン・ギジュン)氏は韓国最古の延世大学校の経済学部を卒業している。尹錫悦氏は日本の一橋大学で学び、その後、同大学で客員教授を務めている。母親も結婚前は名門の梨花女子大学校で教鞭をとっていた。尹錫悦氏自身はソウル大学で法学を学んでいたが、1991年までの9年間で資格を取得することができなかった。この「不名誉」の原因は、1980年の学生時に参加した模擬裁判で全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領に死刑を求めたことにあると考えられている。同大統領は、1979年にソウルで軍事クーデターを起こしている。当時、こうした悪ふざけともとれる行動は反逆的と見なされた。
検察庁でのキャリア
尹錫悦氏は、1994年に大邱広域市の検察庁で自身のキャリアをスタートし、汚職問題を担当する中央捜査局を指導した。高級官僚が関係した汚職の対策では、さまざまな成果を上げている。尹錫悦氏は、法務大臣らと何度も対決し、何度も職務を停止されている。そうした中で彼は熱心な支持者を獲得するとともに、激しい敵対者を抱えることとなった。特に有名なものとしては、現代自動車社の賄賂事件や、世論操作やその他のスキャンダルへの国家情報院の関与問題などが上げられる。2019年夏、同氏は、検察総長に就任した。文在寅大統領はこの任命についてコメントし、尹錫悦氏に中立を保つよう求め、政府に関係しているとしても、あらゆるタイプの汚職を厳しく調査するべきだと強調した。しかし、同氏に対する「共に民主党」側からの攻撃と、同氏が越権行為を行ったとする法務大臣の批判が、2021年4月の尹錫悦氏の辞職という事態を引き起こした。
有権者に対する尹錫悦氏の公約
その後、尹錫悦氏は、当初無所属候補として大統領選挙に立候補したが、2021年11月、同氏は「国民の力」の正式な候補者となった。同氏の大統領選挙での勝利は、国内の人気が3番目に高い医師で企業家、政治家である中道派「国民の党」の候補者、安哲秀(アン・チョルス)氏が、文字通り選挙前日に尹錫悦氏との候補者統一を表明したことが主な要因となった。新しい韓国の大統領は選挙に際して以下のような公約を掲げた。
米国との同盟を力に北朝鮮の核の脅威の抑止を強化。尹錫悦氏は、北朝鮮の攻撃を抑止するため、韓国に米国の弾道弾迎撃ミサイル・システムTHAADの追加配備を進めると約束。原子力と再生可能エネルギーを組み合わせることにより、カーボンニュートラルの概念を推進。「デジタル政府」の導入と大統領府の改革。固定資産税の軽減と消費税の改革。ポストコロナの緊急経済復興計画の策定。中小企業や自営業者向けの超低金利融資に5兆ウォンを支出。5年以内の250万戸以上の住民向けアパートの建設、および若者向けアパート30万戸の原価販売。農村部の住民に対する直接経費の支払い額の2倍化、および土地と住宅の提供で農村部の若者を支援。