ロシア外務省は「日本がウクライナ情勢に関連して、ロシアに対して課した一方的な制限の明らかに非友好的な性質を考慮し」、ロシアは平和条約に関する交渉を中断、また1991年に締結のロシア連邦南クリル諸島と日本の間のビザなし交流協定および1999年の日本人元島民による南クリル諸島の旧居住地へ訪問の最大限簡易化に関する協定に基づく日本国民によるビザなし渡航を打ち切ると発表した。
今回のウクライナ危機の中で平和条約交渉の破綻は必然的だった。
ロシアは米軍施設が配置される恐れがある限り、いかなる領土も日本に引き渡す構えにない姿勢を明確に示していた。米軍関係者に要請していた日本入国の際のコロナ対策も無視されていたわけで、この分野で日本がどんな約束を交わそうと、米国がそれを無視するだろうことは明白だ。
しかし、ロシアも日本もこの交渉をほぼ、現在の外交上の課題を解決するための隠れ蓑として利用していた。ロシアにとっては、米国との対立が強まる中で西側陣営の国家との政治コンタクトを多様化する手段であり、ドイツも同様の役割を演じていた。
日本にとっての課題は、一層軍事政治同盟となりつつある露中パートナーシップを崩すことが急務であったことは、2022年1月、読売新聞からの取材に安倍晋三元首相も公言している。安倍氏の領土問題解決の見通しが無邪気なものだったと非難するのはお門違いだ。
2月24日に開始したウクライナ危機は、実質的には露米の代理戦争に、そしてロシアに対する露骨な貿易経済、プロパガンダ戦争にスタートを切らせた。そしてこれに日本をはじめとする西側陣営がこぞって支持を表明したのだ。
ロシアと日本の間の厳しい乖離は「現実的な政治」の精神の上に構築された交渉の土台を瓦解させた。その復興は現在の危機を乗り越え、新たな国際秩序が確立されないうちは訪れない。ただし、交渉の出発点は今までとは全く異なるものになるだろう。
ただし、これが理由でクリル諸島の問題の人道的側面が消えたわけではない。
ロシアは、ビザなし相互訪問に関する協定から脱退した。ビザの廃止は日本側の希望に心理的に譲歩したものであったが、それでも係争島の領有権に関するロシアの立場を崩すものではなかった。この問題に一連の合意が達成されたのはゴルバチョフ、エリツィン政権の時代だ。
一方でこの問題の本質に詳しい関係者の見解によれば、日本人の南クリル諸島の残した祖先の墓をビザなしで訪問するという合意は、現在、手付かずの状態だという。この墓参の習慣は、1964年、ソ連が旅券やビザを持たずに日本人の島訪問に同意したことに端を発する。ソ連側としては同等の見返りを意図してはいなかった。ビザなし訪問は1986年には、外交文書を交換することで確立された。現在のロシア外務省の声明には、1986年に取り決めたビザなし訪問の中止については一切触れられていない。
このことは墓参のようなデリケートな人道問題が、現在の日露対立の中には入れられておらず、いつかは関係修復のための雰囲気作りに役立つのではないかと期待を抱かせる。
とはいえ、今はその時期ではない。制裁の応酬合戦はまだ終わっていない。