これは歴史上で最大規模の化学兵器の使用例となった。パルチザンの隠れ場所を一掃するため、南ベトナムのジャングルが「オレンジ剤」で消滅させられた。この作戦の公式の目的は、パルチザンとの戦いだったが、しかし、基本的には、一般市民と環境が犠牲となった。
ダイオキシン-常に爆発する危険のある爆弾
ベトナムで米国が行った大規模な化学戦争は、1971年末まで続いた。しかし、ベトナム自体にとっては、この戦争は終わっていないと、ベトナム・ロシア熱帯研究センターのロシア部署の責任者、アンドレイ・クズネツォフ教授が、通信社「スプートニク」のインタビューの中で強調した。
「なぜなら、ダイオキシンが人体に入ると、HIV 感染のような働きを始めるからだ。もし、その人が完全に健康であれば、それらが人体に影響することはない。しかし、人の免疫力が低下し、何らかの病気を発症すると、その瞬間、ダイオキシンが痛みの連鎖に組み込まれて機能し始め、ガンや肝臓、皮膚、呼吸器官の障害を引き起こす。ダイオキシンに起因した病態は非常に多様だ。そして、もっとも悲劇的なのは、この病態が母乳を通して引き継がれるという点だ。それにより、戦後すでに 3 世代、150 万人超のベトナム人がこの病気に苦しんでいる」
ベトナムでは、さまざまな障害を持つ子供が生まれるという潜在的な脅威が常に存在している。今日に至るまで、ベトナムのいくつかの村は訪問が禁止されているが、そこでは、家庭にさまざまな障害を持った子供が生まれている。遺伝的障害をもつ子供たちが暮らす、専門の寄宿学校がいくつかもある。
各国の研究者らが土壌へのダイオキシンの影響を長い間研究しているが、しかし、それは温帯と北部の気候という条件に限定されている。同教授は、熱帯地域における作用に関しては誰も研究していないと指摘する。
「ベトナム・ロシア熱帯研究センターは、この問題を研究する初の、そして唯一の機関。ダイオキシンの分子は不溶解性と考えられている。おそらく、腐植土がダイオキシンの分子と化合し、土壌の表層に残っており、ブルドーザーやシャベルで集めて燃やすこともできる。しかし、熱帯地方の環境下ではすべてが異なることが判明した。ダイオキシンの分子は、さまざまな酸性土壌との化合物に入り込み、ダイオキシンを含有する新しい分子が形成され、水溶性になる。それらは雨水と混じり、土壌に深く染み込み、地下水によって運ばれ、さらに、散布された場所から数百キロ離れた井戸や湖、川、海に流れ込む。この状況が今でもベトナムで続いている。ベトナムにはいくつかの『ホットスポット』が存在する。米国の侵略時に有毒物資が入った樽が備蓄された場所だ。米軍はベトナムを撤退する際に、これらを重機関銃で撃ち、そのまま放置した。たとえば、米軍最大の基地があったダナン。そして、ビエンホアの米軍基地。これら2つの旧基地は、今でも最大かつ最悪の感染の中心地だ」
同教授はまた、米国が最近、ダナンでデモンストレーションを行い、また、現在、ビエンホアでも同じような行動を取り組み始めたと指摘する。それは、有毒物質が入った樽が保管された地下2メートルの深さまで土壌を除染するというものだ。しかし、この場合、彼らは保管場所から半径200~300メートル以内でさえも、水の移動によるダイオキシンの汚染レベルを調査していない。なにしろ地下水によって化学有毒剤はこの範囲をはるかに超えて広がっているのだ。
熱帯センターの崇高な使命
ベトナム・ロシア熱帯センターの発足以来、ベトナムにおける米国の化学戦争の影響に関する研究が進められている。クズネツォフ教授は、それこそが、この研究所が設立された目的なのだと強調する。
「私たちの課題は、ダイオキシンにさらされると人間の遺伝子に変化が起こるのか、土壌や動植物に有害な影響を与えるのか、ということを明らかにすることだ。私たちの結論は、『イエス』だ。そうしたことが起こり、明らかとなった。私たちの研究結果が公表され、ベトナムの国防省と保健省の指導部に報告された。また、私たちは、ダイオキシンによる人類への破壊的影響を防止するための最も効果的で世界的な方法は、健康管理を最大限行うことであると強調している。つまり、ベトナムはこの有害物質の影響にさらされていない国よりもはるかに多額の保健衛生費の支出が必要だ。米国の化学戦争の影響が、いつベトナムで収まるかは、まだわからない。なにしろベトナムは、これほどまでに大量の有毒物質にさらされた最初で唯一の国なのだから」