解放運動を組織し、指導したのは、非暴力政策を説いたマハトマ・ガンジー氏だった。ガンジー氏は、不正に対する人の対応には、報復攻撃と黙従、積極的非暴力の3つがあると主張した。報復的な怒りは、個人尊重の原則に反する。受け身は悪をいっそう強めるしかない。一方、積極的な非暴力は、恐怖心を打ち破り、自らの人生における見解を堅持し、そこから一歩も動かず、最終的に成果を生みだすことになる。
1947 年、インドは英国から平和的に独立を果たした。
マハトマ・ガンジー氏の祖国独立運動の側近だったジャワーハルラール・ネルー氏は、1947 年に自由となったインドの初代首相になり、1964 年 5 月 27 日までこの役を務めた。ネルー氏の主導により、この国では真剣な民主的変革が行われ、それは今日でも続いている。それはなによりも、基本的な民主的自由の保障と、宗教と国籍またはカーストを理由とした差別の禁止だった。また、21歳以上のすべての国民を対象に、普遍的で、直接的、平等な、無記名選挙が導入された。外交政策においては、ネルー氏は中立に務めた。初代首相の経済政策は、生産性向上と生産物の公正な分配を目指し、基本的に社会主義的プランに近いものがあった。ネルー氏の後継者たちは、同氏が築いた原則を忠実に守ろうとした。
今日の状況
また、同首相によれば、インドの主な財産は熟練労働者数の増加だが、英国からの独立時、インドの識字率はわずか12%だった。平均寿命は、男性37歳、女性36歳にすぎなかったが、今日では、男性69.5歳、女性72.2歳、男女の平均は70.8歳まで伸びている。
また、モディ首相は、英国の植民地化で何百年にもわたり強奪が行われ、そうした貧困の中でインドが独立を迎えたことを思い起こした。研究者たちは、75 年前のインドの GDP は 200 億ドル (2 兆 7000 億円) だったと推定しているが、今日、世界銀行はインドの評価を低所得国から中所得国に変更している。現在、同国のGDPは3兆ドル(400兆円5000億円)に迫っている。しかし、貧困の根絶のために国がやるべきことはまだたくさんある。
独立記念日には、独立後に生まれ、先住民族として初の大統領となったドラウパディ・ムルム氏も国民に向けて演説を行った。彼女によると、インドは真の民主主義に向け、例外なくすべての国民の権利を平等に保護するために努力しているという。今日のインドでは、虐げられ、困窮し、人生の片隅にいる人に対する「思いやり」がキーワードとなっている。同大統領によると、インドでは男女間の不平等が急速に縮小しており、女性の社会進出が進んでいるという。
「近年、世界は新しいインドの台頭を目の当たりにしてきた。経済改革は、革新的な社会福祉の取り組みを伴って行われた。経済的成功は生活の調和をもたらす」
インドの地政学的な影響力の増大も見逃せない。インドのシンクタンクのコンサルタントであるローハン・ヴェンカト氏は、CNNのインタビューで、独立後数年間、インドの国際関係は非同盟政策によって形成されてきたが、それは世界のあらゆる分野に積極的に参加することを妨げなかったと回想している。今日、国際レベルでは、インドはこれまでオーストラリアや米国、日本との「Quad」、ブラジルとロシア、南アフリカ、中国との「BRICS」の枠組みでパートナー関係を編成している。インドは上海協力機構(SCO)でも積極的な役割を担っており、2023年にはG20の議長国になる予定。
インドは、ロシアとの経済および軍事技術協力を積極的に展開している。通信社「スプートニク」は以前、インドによるロシアの対空ミサイルシステムS-400 「トリウームフ」の購入について報じている。
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