「ザ・ディプロマット」は、アフリカ開発会議で真の権威を持っていた安倍晋三元首相が、その第8回会議開催のわずか1ヶ月半前に殺害されたというニュースは、アフリカの人々を震撼させたと指摘している。
ケニアのウフル・ケニヤッタ大統領は、追悼のメッセージを送った中で、「わたしの友人であり、ケニアにとってもっとも重要な開発パートナーである安倍晋三元首相を失った」とし、「まったくもって衝撃的であり、なんだか信じられない」と述べた。
またアフリカ開発銀行のアキンウミ・アデシナ総裁も追悼の意を表し、安倍氏は「世界における力強い善意の声だった」と述べ、「アフリカ開発会議を、非常に強力な日本とアフリカのパートナーシップにした」と指摘した。
アフリカ開発に対する日本のアプローチに関し安倍氏が残したものは詳細に調査されるべき
安倍元首相が初めて議長を務めた第5回アフリカ開発会議は、2013年、「Hand in Hand with a more Dynamic Africa(躍動のアフリカと手を携えて)」をテーマに、横浜で開かれた。会議では、アフリカにおける教育ビジネスの発展に向けた日本の首相のイニシアチブが主な議題となった。その発案には、アフリカの国家公務員や一般人、研究者ら数千人に対し、日本の大学での研究や日本企業での研修を行うため、奨学金を与えることが盛り込まれていた。
2014年、安倍氏はアフリカ歴訪を行った中で、アフリカ人の教育に対する支援のイニシアチブについて、「日本は地域における人材育成とインフラ整備に向けた投資に関心がある。これらの投資は日本とアフリカ諸国双方の経済成長を促進するものだ」と述べた。
記事によれば、現在までにアフリカの54の国々から1200人以上が、安倍氏の提案したこのプログラムに参加し、600以上の日本企業で研修を受けた。このように、「安倍イニシアチブ」は日本とアフリカ諸国の間に、今後数十年にわたって強固で互恵的なビジネス関係を作り上げる一助となったのである。
第6回アフリカ開発会議は初めてアフリカで開催された。2016年、安倍元首相は200以上の日本企業の代表者、また日本の主要な会社、大学、非政府組織の代表者とともにケニアを訪問した。この会議の主な成果は、アフリカ市場に対する不信感が取り除かれたこと、そして日本政府がアフリカの将来的な潜在力を認め、またそれが日本の発展のためにより大きな意義を持つようになっていると確認したことである。
2019年に横浜で開かれた第7回アフリカ開発会議は、アフリカの経済発展における新たな路線の採択がテーマとなった。
安倍元首相は、アフリカ諸国の経済発展のための原動力となるのは、資金の貸し付けではなく、投資であるとの考えを表明した。またこれに関し、安倍氏は、日本政府は、アフリカでビジネスを拡大しようとする日本企業を援助するためできる限りのことをすると明言した。
「ザ・ディプロマット」によれば、安倍晋三氏は日本とアフリカの経済・外交関係の強化に向けて、日本の他のどの首相よりも多くのことを成し遂げた。しかし、アフリカとの間には真に相互に有益な展望があるものの、それでも安倍氏が日本の民間部門に、本当の意味でアフリカに真剣に向き合わせるよう完全に説得することはできなかった。しかし、もちろん、安倍氏が始めたことが今後、継続されるべきことであることは間違いないと「ザ・ディプロマット」は強調する。
第8回アフリカ開発会議で岸田首相に与えられた課題
岸田首相は予定では第8回アフリカ開発会議(TICAD8)参加のためにチュニジアへ出発するはずだったが、コロナ感染のため、オンラインで会議に出席。時事通信が報じた。
「ザ・ディプロマット」は、日本政府は、アフリカ市場における日本の民間企業の活動範囲の拡大を、自由貿易圏の創設を含めたあらゆる方策を講じて加速化する必要があると指摘する。また岸田首相は、日本とアフリカのパートナー関係に対する信頼を高めるため、安倍氏を模範に、日本とアフリカの首脳らの相互への訪問を奨励する必要がある。
記事によれば、第8回アフリカ開発会議は、複雑な国際情勢の下、チュニジアで開かれることになる。新型コロナウイルスによるパンデミックに起因する出費もウクライナ紛争も、そのいずれもが経済成長を促すものではない。しかしながら、「ザ・ディプロマット」は、岸田首相は、日本企業が、アフリカ大陸を単なる潜在的な販売市場ではなく、製造業の発展、付加価値の創出のための場所であると捉えるようにするため、最大限の努力をすべきであると指摘している。
ブリンケン米国務長官が、世界の未来はアフリカの将来に大きく左右され、米国はアフリカ諸国との関係に大きな注意を払っていると発言したというニュースは「スプートニク」の過去の記事よりお読みいただけます。
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