エリザベス女王は、1926年4月21日にロンドンでヨーク公と公爵夫人の間に生まれ、ウィンザー王朝を代表した。
叔父のエドワード8世が 1936 年に退位した後、同女王の父親がジョージ6世に即位し、彼女は王位継承者となった。
エリザベス女王は、1952年2月6日にジョージ6世が亡くなった後、英国女王、また、英国国教会の世俗的な首長、そして連邦(ほとんどすべての旧英国植民地を統一)の首長となった。1953年6月2日、ウェストミンスター寺院で7000人の来賓を迎え、戴冠式が行われた。戴冠式は、全国的な行事として初めてテレビで生中継された。
エディングバラ公フィリップ王子との結婚で、エリザベス女王はウェールズ公チャールズ(1948年)、アン王女(1950年)、ヨーク公アンドリュー王子(1960年)、ウェセックス伯爵エドワード王子(1964年)の4人の子供を授かった。
在位中、同女王は、1994年10月にロシアのモスクワとサンクトペテルブルクを訪問したのをはじめ、世界130カ国超を300回以上訪れている。
エリザベス女王の下では、英国君主制の民主化を目的としたいくつかの重要な決定が下されている。
同女王は最近まで、称号や賞の授与式や、後援を行っている慈善団体、研究機関、財団(約600)への訪問など、さまざまなイベントに参加していた。2006年1月、エリザベス女王は自身の権限の一部をチャールズ皇太子に移譲し、2016年末には25機関の後援を王室の他のメンバーに委ねた。この数年、同女王は公の場に姿を現すことはほとんどなく、非公式での会談やオンラインでの出演が多くなっていた。2022年7月3日、エリザベス女王は国家元首としての任務の一部を王位継承者であるチャールズ皇太子に譲り渡した。
エリザベス女王の死去後、チャールズ皇太子は直ちに英国国王に即位することになる。
エリザベス女王の逝去に際し、国連のグテレス事務総長は哀悼の意を表し、NATOのストルテンベルグ事務総長も、女王を平和の闘士であり、不変の価値と評した。トラス英首相は女王の死に英国民と世界は大きなショックを受けていると述べている。
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