ウクライナでの露特別軍事作戦

【ルポ】「ロシアの一部となって、安定した生活と子どもたちの未来を願っている」

ロシアとウクライナ関係が先鋭化したとき、ウクライナ在住の数千人のベトナム人が近隣諸国に避難、あるいは祖国に帰国した。しかし、中にはウクライナに残ることを選んだ人もいる。彼らは今どのように暮らしているのだろうか?
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「ウクライナ保安庁が注意深く監視している」

最近、オデッサのベトナム人協会の副会長が、ベトナム通信社の記者に語ったところによれば、オデッサ南部には現在500人以上のベトナム人が住んでいる。「スプートニク」が地元のベトナム人たちの話を聞いたところ、その大部分が、ウクライナ保安庁はきわめて注意深くソーシャルネットワークを監視していると語った。ウクライナ人の中には、SNS『フ・コンタクチェ』へのコメントに対して逮捕された人もいます。過激主義者の大部分が監視・追跡をおこなっており、インターネットを見て、すべてを報告するのです」と通信社の1人は「スプートニク」に語っている。
ベトナム通信社によれば、4月の末から9月にかけて、ドイツ、チェコ、ポーランドから30ほどのベトナム人家庭がキエフに戻った。なぜなら、キエフには自分たちの家があり、売ってしまわなければならない商品が残っているからだ。キエフで商いをするベトナムの人々は、今も通常の体制で商売を続けていると話す。
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ルガンスクの状況

一方、ルガンスク人民共和国に残っているベトナム人はグェン・チ・ヒェンさん(Nguyen Thi Hien)たった1人である。
ヒェンさんは、「スプートニク」の記者に対し、次のように述べている。
「わたしがもう8年も住んでいるルガンスク市は巨大な刑務所のようです。街に入るのにも、街から出るのにも、特別な許可証が必要で、ルガンスク人民共和国とウクライナに厳しく管理されています。人々はここで変化を待っています。なぜなら軍事作戦が始まったとき、パニックになった人もいましたが、ほとんどの人が紛争が終われば、変化が訪れ、街の運命が決まり、未来が来ると期待しているのです」
軍事行動が始まってから、ヒェンさんの生活は、経済的な面を中心に、大きく変わった。
ヒェンさん
「何より、米国による対露制裁により、それまで平均的だったわたしの収入はほぼゼロになりました。商売をしている人たちはますます財布の紐を固くする必要に迫られています。わたしもそうですが、人々は不安と恐れを感じています。何度もベトナムに帰ろうかと思いましたが、書類の準備がなかなか大変なのです」
軍事行動が始まったとき、在ウクライナベトナム大使館から電話があり、ヒェンさんは援助の申し出を受けたという。しかし、次の手紙でベトナムに帰国する手助けをお願いすると、もう返信はなかったという。

住民投票後の生活

ルガンスク人民共和国のロシア編入に関する住民投票が9月23日から27日にかけて実施された。ヒェンさんは、喜びと不安に満ちたその日のことを今でもはっきりと覚えているという。
「皆が活気づき、住民投票に参加しました。なぜなら人々はロシアに編入されることで、安定した生活を送り、子どもたちに未来が現れ、8年にもおよぶ悪夢が終わると期待していたからです」
人々は、ルガンスクがウクライナの構成体に戻ったとき、自分の運命がどのようなものになるのか心配している。とりわけ、ロシアのパスポートを持っていると、国家反逆の罪に問われるのではないかというのが不安の原因である。
しかしヒェンさんは、「もちろん、ロシア軍が助けてくれています」と話す。
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プーチン大統領と4つの地域(ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国、ヘルソン州、ザポロジエ州)の首長が、ロシア編入に関する条約に署名してから2週間以上が経過したが、この間、ウクライナ軍はこれらの地域に対し激しい攻撃を行っている。
そして現在、ルガンスクの住民たちは、ウクライナの砲弾の炸裂する音を聞いている。ウクライナ政府は、失った領土を取り戻すという決意を諦めてはいない。ヒェンさんは言う。

「住民投票後の生活はさらに緊張したものになりました。なぜならウクライナ軍が絶え間なく反撃をし、ルガンスクに20キロほどのところまで迫ってきているからです。ここ2日は少し落ち着いています。上空にはロシアの飛行機やヘリコプターが飛び交い、通りにもロシアの兵器があり、兵士たちがいます」

ウクライナ側からの爆撃により、街中で水も電気も止まった時期があった。外は人通りもなく、23時から4時までは戒厳令が敷かれている。
「わたしの願いは、ここにいるすべての人たちと同じです。紛争が早く終わり、爆弾が落ちてこず、砲撃が止んで、平和のうちに暮らせるようになるのを望んでいます。そして子どもたちが、家族と再会し、若い兵士たちが戦場で命を落とさずに済むように」
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