【解説】実写版「ゴールデンカムイ」で議論 アイヌ役はアイヌの俳優が演じないとダメなのか

今年4月に完結した大人気漫画「ゴールデンカムイ」。アニメは最終章に突入し、実写版映画の製作も決定している。実写版のキャスティングについては正式にはまだ発表されていないものの、ヒロインのアイヌ民族の少女・アシㇼパを非アイヌの日本人が演じることへの賛否をめぐり議論が起こっている。
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非アイヌが演じると「偏見」が生まれる?

「ゴールデンカムイ」は露日戦争直後の北海道を舞台に旧日本軍兵士・杉元佐一が、アイヌ秘蔵の金塊を探して旅をするサバイバルバトル漫画。作中ではアイヌの少女・アシㇼパがヒロインとして登場し、アイヌの文化・風俗も随所で紹介されている。
映画版のアシㇼパ役については正式発表はまだないものの、インターネット上では早くも配役を巡って論争が起きている。きっかけは米ロサンゼルスで活動する日本人俳優の松崎悠希さんがアシㇼパ役にアイヌではない俳優を起用することを問題視したツイッターの投稿だ。
議論となっている投稿の中での松崎さんの主張をまとめると次のようなものとなる。

「一般的にアイヌの代表と思われているキャラクター」を「非アイヌの俳優」が演じると、実世界で「誤ったイメージ」や「偏見」が広まり、マイノリティー(ここではアイヌのこと)が差別的な扱いを受けることになる。マイノリティについての作品を作るなら、マイノリティ俳優を使って、芸能界の中で進出させるべきだ」

これを受けインターネット上では、「アイヌ人キャストじゃなきゃダメだっていう発想こそが逆差別」、「『出自が異なる者がその役を演ずる』ことの規制は演技の根本に反することで賛成出来ない」と否定的な意見であふれている。一方で、少数ではあるものの「実在する人種や民族などを異人種が演じると、実際の姿にかけ離れた演出・演技になってしまい、その人々の尊厳を毀損すると言う観点もある」と松崎さんの意見に同調する声もみられた。
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作品の舞台となっている頃のアイヌの人々(1904)。日本では2019年のアイヌ民族支援法で、アイヌは「先住民族」と明文化されている。

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口周りの入れ墨が特徴的なアイヌの女性(1930)。北海道の調査によると2013年時点で道内に16786人のアイヌの人々が居住している。

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ロシア・サンクトペテルブルクの博物館「クンストカメラ」所蔵のアイヌを描いた日本画。アイヌはロシア極東のサハリン州にも居住している。

諸外国の事例

ここで、キャスティングが注目を集めた海外の事例を見てみよう。
米ブロードウェイのミュージカル「レ・ミゼラブル」では2006年、ノーム・ルイスが黒人としては初めて、ジャベール警部を演じた。作品の舞台はまだ黒人差別や奴隷制度が当たり前だった19世紀前半のフランスで、当時黒人が警察の管理職に上り詰めたとは到底考えられず、劇場でもそれまでは白人が演じていた。
このほか、ディズニーの「リトルマーメイド」(2023)の実写版では主人公アリエル役に黒人歌手のハリー・ベイリーの起用が決まっているほか、日本の大人気ゲームが原作の映画「バイオハザード・ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ」(2021)では準ヒロインのジル・バレンタインをナイジェリア人の父を持つハナ・ジョン=カーメンが演じている。
これらのキャラクターはいずれも、原作では白人であるか、これまでは「白人であることが前提」として受け入れられていたもので、一部では「イメージと違う」と拒絶反応もみられた。黒人俳優を起用するという動きは、欧米などを中心にアファーマティブ・アクションの一環として広まっている。言い換えれば、「黒人差別をなくすべき」という社会の流れが、舞台や映画の配役にまで影響を及ぼしているということだ。
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一方、大人気映画「ハリー・ポッター」シリーズでは、英国人原作者JKローリングの「英国人以外お断り」の要求により、主要キャストは英国籍者となっていることが知られている。これは一種のナショナリズム、愛国主義の表象といえよう。
また、作中ではアジア系やアフリカ系のキャラクターも登場するが、基本的には英国籍者が演じている。JKローリングがこだわったのは国籍で、人種差別を助長する意図はない。むしろ彼女は、舞台「ハリー・ポッターと呪われた子供」でヒロインのハーマイオニー役を黒人が演じたとき、黒人差別的なSNS上のファンのコメントに対して怒りをあらわにしている。
諸民族の友好を訴えたソ連では、現代でも年末映画の定番となっている「運命の皮肉」(1975)で、ポーランド人のバルバラ・ブリルスカがレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)在住の学校教師を演じている。だが、ここで特筆すべきことは、作品では彼女の台詞を別の女優がアフレコし、彼女が歌う場面では「百万本のバラ」で有名な国民的人気歌手アーラ・プガチョワの声が採用されていることだ。
彼女はロシア語が母語でなかったため、どうしてもポーランド語訛りが出てしまう。国語教師のロシア語に訛りがあるのはおかしいという理由でアフレコが決まったという。こうして技術的問題を解決したわけだが、演者と声優、歌手の長所を織り交ぜることでよりよい作品を作ろうとした製作者側の意図も垣間見える。
このように、キャスティングは国や社会情勢、作品の内容など様々な要素に左右され、対応もその都度違ってくるといえる。
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どうすればフェアに描けるか

話をアイヌに戻そう。原作者の野田サトルさんの作品にかける思いを、朝日新聞は次のように伝えている。

「『ゴールデンカムイ』を描くにあたって北海道のあちこちに行ってアイヌの方々に話を聞きました。もらった注文は『かわいそうなアイヌにはしないでくれ、強いアイヌを描いてくれ』ということだけでした。できるだけ忠実であろうと、フェアに、慎重に描いているつもりです」

アイヌ語研究の第一人者で、「ゴールデンカムイ」のアイヌ語監修を担当した千葉大学文学部教授の中川裕教授は、過去に週プレNEWSのインタビューで、「アイヌ文化の描写がすばらしい」と絶賛。作中には膨大な調べ物をして得た情報が全て、物語の一部分としてうまく取り込まれていると指摘している。
このように、作者はアイヌの人々の思いを受け、その文化や暮らしを忠実に再現しようと努力し、実際に専門家をうならせるほどの完成度となっている。よって、実写版でもそうしたアイヌの忠実な表象が期待されているということができるだろう。
一方で、アイヌの忠実な表象がアイヌの俳優でないとできないかというと、そうとも限らない。そもそも、明治時代のアイヌの暮らしと現代のアイヌの生活様式は大きく異なる。自らもアイヌにルーツがあり、アイヌをテーマにした舞台や映画に携わる俳優の宇梶剛士さんならともかく、アシㇼパを演じるであろう10~20代の女性が、たとえアイヌであってもその時代のアイヌを再現するためにはかなり専門的な学習が必要だろう。
スプートニクがツイッター上で行ったアンケートでは、アシㇼパ役を「アイヌ民族の俳優が演じたほうがいい」と答えた人が27.2パーセント、「アイヌ民族の俳優かどうかにはこだわらない」と答えた人が72.8パーセントとなっている。限られた母集団から得た回答ではあるが、俳優の出自にはこだわらないとする意見が多い。
コメント欄では「俳優がアイヌ人云々というのはあまり意味がない」という声のほか、「十分な技量を持つアイヌ民族少女俳優がいるのならば、起用したほうがいいと思うが、俳優としての技量に乏しいのに民族性を重視した俳優の起用は作品の品質を損なわないか心配。でも起用することで少数民族俳優を育てれば、長期的には邦画界に寄与すると思う」などといった意見がみられた。
また、スプートニクは複数のアイヌ関係者にこの議論に関する見解を求めて取材交渉しているが、現時点ではまだ回答がない。もし、回答を頂ければ当事者の意見を含めた続編を予定している。
もちろん、アイヌに詳しい当事者が演じることができるとすれば、作中のアイヌ文化の忠実な再現に貢献するといえるし、アイヌ文化の振興にもより寄与するかもしれない。だが、それは作品を構成する要素の一つにしかすぎない。
前出の松崎さんは、「製作側・出演者にマイノリティー当事者がほぼいない状態で作品を作ると、マイノリティーが「普通ではないもの」として描かれ、発信されてしまう」危険性を指摘している。この主張はさもありなんや、俳優やスタッフの努力により補えないことはないだろう。俳優がアイヌでないとしても、アイヌを演じることへの向き合い方、時代考証や専門家の監修で、少しでも本物のアイヌに近づくことはできるはずだし、それを実現してこそ俳優の醍醐味なのではないだろうか。
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