【特集】旭日中綬章受章のタチヤナ・グレーヴィチ教授が語る 日本人社会で「ウチ」の人になるという摩訶不思議な感覚

日本とロシアは地理的に隣人である。そうである以上、隣りの人が話す言語を理解するのは宿命といえる。文化学博士で、言語学准博士でもある、ロシア外務省附属モスクワ国際関係大学のタチヤナ・グレーヴィチ教授は「スプートニク」からのインタビューに応じ、日本人とロシア人が付き合う時に難しいと同時に面白い側面についてお話してくださった。
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タチヤナ・グレーヴィチ氏は教鞭をとる傍ら、研究活動にも従事し、言語文化学的観点から見た日本語の機微や異文化コミュニケーションの問題に50年以上の歳月を捧げ続けてきた。この間に執筆、出版した学術書、指導書は100冊にも及ぶ。中でもグレーヴィチ氏の監修による「和露四字熟語辞典」はロシアにおける日本研究にとってきわめて貴重な一冊となっている。こうした功績が称えられ、2021年、グレーヴィチ氏に旭日中綬章が授与された。

日本人にとっての「うちの人」と理解しづらい「建前」

スプートニク:ご自身の日本行きが初めて叶ったのは何がきっかけだったのでしょうか? そのときの印象も合わせて教えてください。
グレーヴィチ氏:最初に日本に行ったのは1970年です。大阪で開かれた日本万国博覧会でソ連館のホステスとして仕事をしました。これが私にとっての初の訪日でしたが、カルチャーショックはありませんでした。それまで日本についてたくさんの本を読み、歴史や文学を学んでいたからです。大阪は善い人ばかりで、本当に優しくて、外国人に対してとてもよくしてくれて、構えることなく、気軽にお付き合いができたことを覚えています。日本行きを準備をしていた当時、私はモスクワ大学に通う学生で、大学では日本の文化についての授業を受け、インツーリスト(ロシアの旅行会社)でも日本語の会話を練習していましたので、日本人との交流の経験はすでにありました。
1970年大阪万博で外国人ホステスについての記事に載ったグレーヴィチ氏
万博では仕事のない日に私たちは、日帰りで行けるところにはできる限り旅行し、できるだけ多くのことをこの目で見ようとしました。若い女の子だけが連れ立って旅行していたからでしょう。日本人からは「どこから来たの?」とよく声をかけられました。そこで「どこから来たと思いますか?」と逆に尋ねると、いろんな国の名前は挙がるのですが、ソ連と言う人だけはいないんです。そこで正解を言うと、皆本当に驚いて、「よく来させてもらえましたね」と言うのです。「皆、日本は安全な国だと知っていますから」と私たちは答えていましたが、その質問の意味は実は違って、ソ連の人々は、行きたいところに自由に行くことなどできないでしょうに、ということだったのです。これが私が初めて自分の国に対して他人が抱く、好ましくないステレオタイプに直面した瞬間でした。
スプートニク:日本人特有のメンタリティの中で、特に驚かれたことはありますか?
グレーヴィチ氏:2000年代の初めの頃だったと思います。日本人の女友達と一緒にハワイに団体で観光旅行に出かけました。ツアーグループの中でロシア人は私ひとりだけでしたが、すっかり自分は「ウチの人」だという気分でいました。ところが入国審査となった時、米国の審査官が驚いた様子で私のロシアのパスポートを眺めまわすではないですか。書類にはまったく不備はなかったのに。米国の入国監査官らが驚いたのは、日本人グループの中にロシア人が1人混じっていたからだけなのですが、事情説明の行われている間中、同じ団体の日本人たちは私の横に立ち、口々に「この人は私たちと一緒に旅行しているのよ!」「同じ団体なんだから!」と言ってくれました。たぶんこれが、日本人にとって重要な「ウチとソト」 の良い側面を初めてわが身に感じて、摩訶不思議な心地よさを味わった瞬間だったと思います。
日本人のメンタリティでもう一つ、わたしがいつも驚かされてきたことがあります。それは予定外のことに対処することができないということです。想定されていたシナリオが少しでも狂うと、日本人はパニックになりますよ。わたしは一度、ボリショイ・サーカスのツアーの通訳として日本に行ったことがあって、その時3か月間で日本の各地を回りました。このサーカスの仕事で私が目にすることができたのは今まで知らなかった別の日本でした。これは多くの外交官でさえも知らない側面だと思います。
北海道のある町に行ったときのことです。その町での公演会場は体育館でした。オープニングには一番見栄えのする演目が出されることになっていて、それはサーカスのチラシにも印刷されていた、特別な構造物を用いたアクロバット芸でした。ところがいざ設営となった時、体育館の床が平らでないために、構造物を安定して設置できないことが分かったのです。さて、急遽ゴム製のマットを敷いて対処しないといけなくなりましたが、どうしても時間的に間に合いません。チケットは完売。日本人は涙目になって、お手上げの状態です。ところがロシア人のほうはさっさと機転を利かせて、マットを敷く代わりにゴム草履を使い、必要な土台をこしらえましたので、ショーは無事に行うことができました。もちろん、日本人は天井に届くほど跳び上がって、大喜びしましたよ。
それからですね、これもかなり独特のメンタリティだと思うのが、日本人の本音と建前です。未だに日本人と話すときにどっちが本音でどこまでが建前なのだろうと理解に苦しむことがあります。それに結局のところ建前とうそは同じではないかとも思えるんです。だって、慣用句にもあるじゃないですか。嘘も方便って。
一度、こんなことがあったんですが、東京にいたとき、わたしは日本人の女友達と一緒に、よく、いろいろな流派の生花展を見に行っていました。ある生花展に行った数日後、その友達と散歩しているときに、彼女の友達にばったり会いました。 2人の話が生花展の話題になった時、私の友達は相手の方に、その流派の生花展には行ったことがないし、行こうとも思わないと言ったのです。2人きりになったとき、彼女が相手にあの生け花展には行かなかったと言ったのか、自分の理解を確かめました。だって私たちが見に行ったのは確かにあの生け花展だったからです。すると友達は悪びれるそぶりもなく、「そうよ」と言うのです。彼女の説明は、友達はその流派が嫌いだから、私たちがその生花展に行ったと知ったら、嫌な気持ちになるから、というものでした。こういうウソを建前というのでしょう?

日本人は自国の言葉、文化に興味を持つ人を評価してくれる

スプートニク:旭日中綬章はあなたにとってどのような意味がありますか?
グレーヴィチ氏:わたしが知る限り、今世紀に入って、わたしが受章するまでに、3人のロシア人日本語教師がこの勲章を受章しています。日本の言語や文化を真剣に愛情をこめて研究し、その知識を若い世代に伝える人間を日本人はちゃんと評価してくれる。そういう日本人に心から敬意を表します。これほどのレベルの勲章をいただけるというのは、本当に高く評価していただいている証拠です。つまり、これは、私が人のために必要なことを成した、我が人生は無駄ではなかったということです。今も教壇に立ち、日本語を教え、日本語や日本文化、異文化交流を研究する大学院生の指導ができることを嬉しく思います。
旭日中綬章を受賞するタチアナ・グレーヴィチ氏、上月大使と記念撮影
今はインターネットのおかげで、知識を得るための素晴らしいチャンスがありますが、私がモスクワ大学の文学部に通っていた時は学ぶ言語の国についてできるだけたくさんのことを知ろうとすれば、東洋言語大学(現在のアジア・アフリカ諸国大学)での文学や言語学、文化に関する講義を聴きに行ったり、東洋美術館に足しげく通ったり、日本映画を観るためにモスクワ市内でも辺鄙な地区に出かけたりしたものです。

日本語は難しい でもロシア人なら習得できる

スプートニク:日本語を学ぶ上で壁になるのは日本文化のどういう側面でしょうか?
グレーヴィチ氏:日本語を学習する上で難しいのは、ウチとソトの関係を語彙的、文法的にどう捉えるか、ではないでしょうか。このウチとソトの関係と言うのは、絶対的にこうと言えるものではなく、状況によって変わるからです。いつまでたっても敬語に躓く人が多いのもそれが原因です。
私たち、ロシア語話者にとっては、相手に照らして自分が社会的に、また年齢的にどういう立場にあるのかを常に念頭に入れて話すというのは簡単ではないんです。今や日本の若者たちも敬語や丁寧語を正しく使いこなすために特殊な実習を受けていると聞いています。たとえば、会社で会話する際の尊敬語、謙譲語の違いなどです。もし、社員がパートナー企業の人に自分の上司のことを話すときには、やや控えめな敬語を使うけれども、社内で上司と話す時や上司について話す時は、その敬語の度合いはまた変わってきます。それから、これも当然なのですが、日本語の「曖昧さ」。これもどう理解するかは難しい。堺屋太一は、『日本とは何か』という著書の中で、「はっきり表現しないことが文化」だと書いていますが、概して、よい教育、よい躾を受けた日本人はそのような表現の仕方をします。ロシア人には、間接的表現や曖昧な表現は母国語にもありますが、英語やフランス語に堪能な学生には、この曖昧は苛立ちを呼び、理解しがたいものです。
繰り返し言うことなのですが、これを理解するためには必ず文脈を知らなければなりません。一例として「歴史的な」文脈を引きましょう。1970年の大阪万博のソ連館にかつてソ連軍の捕虜だったという方々がいらして、私たち、ホステスのことを愛情をこめて「妹」と呼んでくださり、ロシア人たちが捕虜に対してどんなに親切にしてくれたかを話してくださいました。(この方たちのひ孫さんの代も、ロシア人に対して同じように優しく接してくれればと願っています。)
翻訳というのは単語一つだけを訳しても正確な翻訳にはなりません。文章になって初めて、伝えたいことのおおよその意味の理解に近づき、さらに段落になるとより楽に正確に伝えることができます。テキストを正しく理解するためには、最後までそれを読まねばなりません。
日本語では、「かもしれない」や「でしょう」という表現がよく使われますが、これは特に学生にはとても分かりづらい。「はい」なのか、「いいえ」なのか分からないからです。それなのに、日本人はどうして自分が正しく理解されていると思えるのでしょう。
スプートニク:ロシア人が日本語の指導にこれほど長けているのはどうしてでしょうか?
グレーヴィチ氏:人々がお互いを理解したいと思う気持ちが強いことが一番の秘訣でしょうね。そして考え方が似ていることもそうです。日本人も私たちも連想しながら考えを巡らし、最後まで語り尽くさないこと、仄めかしを好みます。詩歌が好きなロシア人が日本の短歌や発句に関心を持つのも言うに及びません。ほら、ロシアのチャストゥーシカ(速歌とも呼ばれるロシアの短詩型の民謡)は歌詞で歌われている言葉が実は他のことを暗示していて、一緒に並べて比較できないはずのものが突然隣り合わせになっていて、発句にとても似ているでしょう?
グレーヴィチ氏、モスクワ国際関係大学での講義風景
ロシアと日本の世界観、民衆文化には笑いも含め、多くの共通点があります。私たちも日本人も感覚を通して世界を認識しています。たとえば、ツルゲーネフの作品、とりわけ、彼の自然描写は日本の読者にも共感を呼びました。二葉亭四迷はロシア文学を和訳した先駆者のひとりですが、「浮雲」はロシア文学の影響を受けて書いたと言っていたのことは有名な話です。
私たちの恩師は、その多くが日本を直接、目にしたことがなかったわけですが、私たちを日本文化にいざなってくれたのは彼らです。そして言語は文化の基礎です。そして私たちも同じように学生たちに、日本語の文法を説明し、日本人の世界観というものを伝えようと頑張っているのです。私たちは地理的に隣人である定めなのです。そうである以上、互いを分かりあい、そのための言語を知る必要があります。それを教師である私たちは懸命に教えようとしています。

プライベートは抜き ビジネスはビジネス

スプートニク:では、日本人とロシア人のビジネスコミュニケーションにおける違いはなんでしょうか?
グレーヴィチ氏:現段階でこれにお答えするのは私には難しいですね。私は怒涛の1990年代初頭、私は商談の通訳のアルバイトをしていたのですが、当時、時代は急変し、ビジネスでも商談でも「グローバルな」パターンというものが出来上がっていました。1990年代、堺屋太一は、近代文明と日本伝統の相克について書いていますが、どうやら勝利をおさめつつあったのは近代文明のほうだったようです。
とはいえ、私は、民族特有の文化要素はこの先も長きにわたって、なんらかの形で外国人パートナーとのビジネスコミュニケーションに影響していくと思います。まぁ、この頃は日本人もビジネスでは英語に移行している場合が増えていますが。ビジネスとは民族の差異を超えた、国際的なもので、国が違おうと内容は共通していますが、それでもそこには様々な要素が影響しており、文化的な要素も例外ではありません。
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よく商談成立の妨げとなってしまうのが、個人同士の付き合いにおける相手の文化的なルールをお互いに知らないことですね。ビジネスにおいて、お互いの理解が不足し、ステレオタイプが先行しているのは残念なことです。
たとえばですね。日本人はロシア人は皆、アルコール依存症だと思っていますし、困ったことに、ロシア人のほうもこのステレオタイプを積極的に支持している始末です。ロシア人の心は果てなく広く、寛容ですからね。相手が「お酒は結構です」と断っても、なんとかお腹いっぱいご馳走し、満足するまで飲ませなければ気が済まないのです。
私としては、日本人とビジネスを行う際は、とにかくビジネスライクな態度を取ることが大事だと思います。特にご法度なのが時間にルーズ、正確さに欠けるという行為ですが、これが残念なことにロシア人にはよくある。また姑が来たから、渋滞にはまったからなど、ロシア人がよくする言い訳も、適したものとは言えません。客観的な理由もあるでしょう。でも日本人にはそんなことはどうでもいい。約束は約束なのです。
個人的な付き合いでは日本人はとても理解があり、相手の立場にたってくれますが、ビジネスとなると非常に厳格で詳細を求めます。ちなみに、ビジネスパートナーと商談する時はいきなり本題に入る(欧米ではそれが普通)のもあまりお勧めできません。まず相手に対して友好的な姿勢を示し、相手の調子やその人そのものを気遣うようなフレーズを最初に口にするのが一般的です。それでもビジネスはビジネス、プライベートはプライベートですよ。でもロシア人は「プライベート」と「ビジネス」を分けることには慣れていませんからね。
西側、特に日本では、ビジネスコミュニケーションの民族的特性についての研究はかなり以前から行われていますが、残念ながらロシアでは、まだこのテーマを扱った書物はそれほど多くはありません。ですから、わたしも学生たちも、この空白を埋めようと努力しています。
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