「私が大江健三郎の作品と出会ったのは、同氏の作品がソ連で広く翻訳される前のことでした。それは『死者の奢り』でした。この小説は私に強烈な印象を与えました。その主題は不条理さだったが、私は感情的なレベルではなく、むしろ物理的なレベルでこの作品を感じ取りました。ソ連では、大江健三郎の作品の大半を、同氏および阿部公房と個人的に親交があり、友人だったウラジーミル・グリヴニンが翻訳しました。ちなみに、大江氏はロシアの雑誌『外国文学』の国際協議会のメンバーでした。
もちろん、大江氏は20世紀後半の日本文学を代表する最も輝かしい人物でした。そして、その作品はロシア語に翻訳され、その数は非常に多く、莫大な需要がありました。それらについてたくさん話され、協議され、議論されました。幸いなことに、それらはトレンドがブログやテレビドラマに移った私たちの時代とは異なり、文学がまだ社会で重要な位置を占めていたときに出版されました」
マズリク氏はまた、川端康成に続いて日本人2人目のノーベル文学賞を受賞した大江さんが、川端康成のノーベル賞受賞記念講演「美しい日本の私」を念頭に「あいまいな日本の私」と題して受賞記念講演を行ったことに言及した。マズリク氏は、それまで大江さんは実存主義や人類生存の問題、また地球上のすべての生命の存在の問題ほどは美的なものに興味を持っていなかったとの見方を示した。
「大江氏は人間の問題の根源を探り、解明しようとしました。 おそらく彼が後年に文学から言論活動へ進化したのはそれが理由です。そして、ここで私はあえて同氏を自分の説教や哲学的な記事においては芸術的な文学作品の中よりも説得力がなかったレフ・トルストイと同一視したいと思います。しかし、いずれにせよ、これは日本文学にとっても世界文学にとっても大きな損失です」
マズリク氏はまた、父親の一徹な性格を受け継いだと思われる、大江さんの息子、大江光さんについても触れた。光さんは脳に障害を持ちながらも著名な作曲家となった。