スプートニク:あの日(原爆投下の日)の個人体験についてお聞かせください。
大越和郎さん:私が爆心地から10キロくらい離れた田舎にいたので、閃光と爆風がそこまでも届いて、晴れた空が一気に曇って、いわゆる有名な黒い雨というのが記録によって40分くらいザーッと降って、その雨で川の魚が死んで浮いたというのを目撃しているのが大体午前中の出来事です。午後はかなりの被災者が大変な悲惨な状況の下で車に乗せられていて、規則によると私の小さい村ですが、300人ほど収容されたという記録があって、その人たちがどんどん亡くなるので、連日、臨時の火葬場で火葬が進められたというような記憶を、当時5歳4カ月ですが、目撃したというのがあります。
スプートニク:原爆投下は大越様の家族にどのような影響を与えましたか。
大越和郎さん:肉親から言えば、原爆投下によってお叔父さんが亡くなられたのと、私を含めて全部で8人が被爆者というふうに、後の法律で決められた被爆者として認められたのですが、そのぐらいのことです。
スプートニク:あの広島の悲劇から、次の世代にどのようなメッセージを届けたいですか。
大越和郎さん:核兵器の使用がどれだけ悲惨な状況を招くか、そして被災した人だけでなしに子々孫々まで影響を与えるという甚大な被害を人の生命や暮らしに与えるということで、これはその後いろいろ核兵器の実験による被害の拡大によって核兵器をなくそうという国際世論が広がって、今それのせめぎ合いになっているという状況だと思うのですが、国際的には核兵器禁止条約が本当に実効あるものにするために、各国が批准すると同時に、それを担保するような国際的な枠組みというかが一つ必要なんだと思います。また、政治家や一般市民の努力がこれからも必要になってくるというふうになるし、今、核兵器使用の危険が高まっているときだからこそ、核兵器をなくそう、核兵器を使ってはいけないという大きな世論と運動も必要だし、そこがある意味では決定的ではないかなというふうには考えています。
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