バズビー氏は低線量放射線被ばくの研究者で、英アルスター大学の客員教授や市民団体「欧州放射線リスク委員会」の科学担当委員を務めている。同委員会やバズビー氏は基本的には反原発の立場で放射線被ばくの悪影響を訴えているが、その主張に対する反論や批判もあがっていることに注意されたい。また、バズビー氏は事故があった福島第一原発の処理水に限らず、そもそも原発から出るトリチウム水が危険だと主張していることにも留意する必要がある。
汚染水と処理水
まずは処理水についておさらいする。事故後の原子炉の冷却に使用した水は、放射性物質で汚染される。この「汚染水」をALPS (高度液体処理システム)で浄化し、約62種類の放射性物質を取り除いたものがいわゆる「処理水」だ。だが、ALPSでは放射性核種であるトリチウムの除去はできない。トリチウムの濃度を国際的な基準より低い数値にまで薄めた水を、約30年かけて海洋に放出するのが政府と東電が進めている計画となっている。
線量基準だけで安全とはいえない?
日本政府や国際原子力機関は、トリチウム水の放出は「問題なく、健康や環境への影響はない」と評価しているが、バズビー氏は「そうではない」と反論する。
「トリチウムはとても興味深い物質だ。確かに放射能は非常に弱く、放射線量の観点ではほとんど健康への影響は及ぼさない。だから規制当局にとっては都合がいい。だが、崩壊したトリチウムはヘリウム3に変わる。体内に容易に侵入するトリチウムがこの変化によって、遺伝子損傷を引き起こす」
放射線量が低いことを理由に、規制当局は海や川への放出は安全だと主張する。福島に限らず、世界中の原発でトリチウムを含む水が放出されている。だが、バズビー氏は「『吸収線量』の概念を使用した安全評価は非科学的で不誠実だ。これは不適切な規制によって引き起こされたガンによる数億人の死亡といった巨大公衆衛生スキャンダルの根源となっている」と主張する。
バズビー氏はトリチウムを含む放射線核種の海洋放出に関する過去の研究を引用し、その危険性に警鐘を鳴らす。1990年代後半のアイリッシュ海沿岸での小児白血病の増加や、大量のトリチウム水を放出するカナダのCANDU原子炉を使用している韓国の原発周辺での発ガン率の増加などを例に挙げ、「トリチウムを規制する放射線リスクモデルは時代遅れで間違っている。影響がないと主張する専門家は窓の外を見る必要がある」と締めくくった。
反論も
バズビー氏が主張するヘリウム3への変化によって遺伝子が傷つく危険性については、日本国内で過去に議論されており、反論もある。
福島民友新聞が茨城大の田内広教授の話として伝えたところによると、そもそも人間の体内ではトリチウムより強い放射線を出す自然界の放射性物質や活性酸素で常に細胞が傷ついている。傷をそのまま放置すればガンの原因となりうるが、人体には遺伝子を修復、複製する機能がある。
遺伝子が1つでも傷つけば「健康被害」とみなすなら影響があることになるが、そもそも処理水のトリチウムか自然由来の放射線によるものなのかは特定は難しい。つまり、極端に高濃度のトリチウム水を摂取しない限り、「処理水による健康被害」は考えにくいという。
処理水の安全性に関する主張や反論、それに対する再反論は尽きない。内外の専門家の間でも健康被害がないとする見方が大勢ではあるが、反対論は消えていない。実際のところ、この議論に決着がつくのは、放出が完了する30年後かそれより後になるのかもしれない。
関連ニュース