コチ大学の考古学チームは2004年からトルコ中央部にある中央アナトリア地方の小さな村カヤルプナルの近くで発掘調査を行っている。
当初、この集落は紀元前1190年から700年に存在したと考えられていたが、2023年の発掘調査の結果、考古学チームは、それより前の時代、つまりヒッタイト帝国の時代に集落は存在していたと発表した。
発掘調査では、ヒッタイトの王ハットゥシリ3世とその妻プドゥヘパおよび子どもたちの印章の印影が発見された。印影は丸い粘土板に残されていた。
考古学チームは、王たちの印章を押した粘土版が大量に保存されていた建物は、王家の文書保管所だったという結論に達した。そこでは祝日の記録や占いの文章が書かれた楔形文字板の断片も見つかった。
考古学チームの責任者は、発掘された建物の大部分は行政用のものであり、そこには都市と帝国全体の機能をつかさどる人々が住み、働いていたとの見方を示した。
考古学チームは、ヒッタイト帝国時代にはその首都ハットゥシャのすぐ近くに別の都市があり、それは国の重要な中心地だったという結論に達した。そうでなければ、そこに王家の文書は保管されていないはずだという。
ハットゥシリ3世の治世の正確な時期は今のところ分かっていないため、新しいアーカイブからより正確な情報が見つかることが期待されている。王の個人的なアーカイブがなぜ首都ではなくてそこにあったのかを明らかにする情報源も見つかる可能性があるという。
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