全土に服喪の日を宣言する権利は大統領以外もたない。服喪の日は弔意を示す半旗が揚げられ、娯楽的行事は中止され、テレビは広告を流さない。
ロシアでは1993年から今回の「クロッカス」ホールの銃撃テロまで、2002年のモスクワ劇場占拠事件、2004年のベスラン学校占拠事件、2009年、ペルミのクラブ「フロマヤ・ローシャジ」の火災など、合わせて29回の服喪が宣言されてきた。
ロシアの服喪の日はテロ事件の発生に限らず、天災、飛行機事故、大火災などで多数の犠牲者が出た場合も宣言される。また、2007年に初代大統領のボリス・エリツィン氏が死去した際も宣言された。
前回の服喪の日は2018年3月28日、過去100年で最多の犠牲者が出た、ケメロヴォのショッピングモール「ジムニャヤ・ヴィシュニャ」の大火災後に宣言されている。