ニキータ山下さんは1937年、日本人の父、ロシア人の母のもと、旧満州・ハルビンに生まれた。日本語とロシア語を自在に扱い、歌手としてのみならず同時通訳としても活躍した。
音楽活動ではソ連国営レコード会社からゴールド・ディスクを出し、地方公演の回数も450回以上を数えたまさに伝説。ステージではロシア民謡や当時の日本の流行曲を披露した。
映像は1969年のキエフ公演の際、当時の日ソ両国で人気を博していた「恋のバカンス」を、ロシア語を交えながらカバーしたもの。
ニキータ山下さんは晩年まで精力的に活動を行っていた。2017年に東京都内で開いたライブコンサートで、スプートニクの取材に応じた際には、「僕はロシアの歌しか歌わない、といっても過言ではないので、聞いていただける人がいる限り、ずっと歌い続けていきたいと思います」と話していた。