【視点】石破首相の核発言は効果を生んだが、核に危機感を抱く国際社会にとっては耳障り

石破首相は9月の自民党総裁選の期間中、「アジア版NATO」の創設や「核共有」及び「核持ち込み」について声高に発言していた。一方、最近になって、いくつかの説明を行った。その背景には野党からの批判や、「日本被団協」のノーベル平和賞受賞決定がある。被団協は1956年の結成以来一貫して核兵器廃絶を訴えてきた。
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石破首相は先週、「核共有」について「抑止力をどうやって核廃絶に結びつけるか」を議論する必要があるとの考えを示した。
ロシア戦略研究センターの専門家で東洋学者のウラジーミル・テレホフ氏はスプートニクに対し、「核に関するレトリックが必ずしも現実的な行動に結びつくとは限らない」と述べ、次のように語った。

「誰も核攻撃の標的になりたいとは思っていない。しかし、核兵器を保有するプロセスを開始することで、その国は自動的に敵国の核攻撃の対象となる。日本は米国の『核の傘』の下にいたほうが楽だろう。一方、最近の動向を見ると、米国は同盟国が米国の管理下にありながら独自に自国を防衛する能力を持つことに関心があるようだ。 仮定の話として、日本が核兵器を持ち込んだり、独自に核兵器を製造することは可能だ。しかし、この問題は独自の軍隊を創設するという、もう一つの複雑な問題と結びついている。実のところ、そうなった場合、米軍は日本でいったい何をするのかというジレンマが生じる。日本が核を保有しようとした場合、ASEAN諸国や、核保有国である中国が歓迎しないことは目に見えている。誰もこの地域にこれ以上紛争の火種を増やしたくはない。これは日本政府も認識しているはずだ。核を保有したいという考えは、それが誰に向けられているのか、誰がその代償を払うのかという二つの問題と関係している。その意味において、日本にとって潜在的に危険なのは、中国よりも北朝鮮だ。中国とは交渉もできれば取引もできる。一方、北朝鮮とはできない。石破首相の発言は『タカ派』のようにみえるが、発言で判断するのではなく、行動で判断すべきだ。日本は多くの問題を抱えている、石破首相が実際にどんな行動をとるのか、どの程度独自路線を歩むのか、今回の衆議院選挙の結果がどうなるのかは、今のところよくわからない」

軍事アナリストのウラジーミル・エフセーエフ氏は「石破首相の核に関する発言は時宜にかなっていないため、彼は一歩退いた」と述べ、次のように語った。
「石破首相の『アジア版NATO』や核兵器などに関する発言は、ある種の効果を生んだ。同氏のイニシアチブに世界中が注目した。しかし現在、石破氏は核による大惨事を防ごうとする国際社会の努力を背景に、一歩引こうとしている。 石破氏は、有事の際に核兵器を同盟国に供給する可能性を規定しているNATOの核共有制度を念頭に、『核共有』について語ったのではないかと思う。日本がNATO及びその加盟国と個々に協力関係にあることを考慮すると、理論的には日本もこの制度に参加できる可能性がある。したがって、石破氏はこうしたニュークリア・シェアリングを想定しているのかもしれない。一方、問題は、米国が実行に移すか否かだ。米国は有事の際に核を供給するほど日本を信頼しているのだろうか?技術的には、日本が独自に核兵器を製造することは可能だが、まず第一に、開発には非常にコストがかかる。第二に、それは国内の世論や海外での反応を考慮して行わなければならない。したがって、これは米大統領選挙の結果を見据えた一種の駆け引きであり、トランプ氏が政権を取った場合の保険だといえる。いずれにしても、特に『ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ』と訴え続けてきた日本の団体がノーベル平和賞に選ばれたときに、このようなテーマについて議論するのは極めて不快であり、耳障りだ」
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