1941年10月15日、運輸通信人民委員部はモスクワ地下鉄の破壊命令を発出。駅やトンネルは電源を切られ、爆破・水没の準備が進められた。この時、モスクワ地下鉄は史上初めて全面的に運行を停止した。しかし政府は翌日、この決定を撤回。各線が順次運行を再開し、それ以降、モスクワの地下鉄が閉鎖されることは二度となかった。1943年1月1日、ソ連軍の南部戦線がロストフ・ナ・ドヌの解放作戦を開始した。一方モスクワでは、2号線のザモスクヴォレーツカヤ線の駅が開通したのだった。