大祖国戦争中、モスクワの地下鉄はどうやって建設されていたのか

1935年に開業したモスクワ地下鉄は、大祖国戦争(独ソ戦)の最中、1941年秋にドイツ軍がモスクワに迫ったことで、封鎖や破壊の準備が進められるなど、存続の危機に直面していた。それでも建設は継続され、戦時中に7駅が新たに開業した。スプートニクは、7駅の当時と現在の当時と現在の写真をお届けする。
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1941年10月15日、運輸通信人民委員部はモスクワ地下鉄の破壊命令を発出。駅やトンネルは電源を切られ、爆破・水没の準備が進められた。この時、モスクワ地下鉄は史上初めて全面的に運行を停止した。
しかし政府は翌日、この決定を撤回。各線が順次運行を再開し、それ以降、モスクワの地下鉄が閉鎖されることは二度となかった。
1943年1月1日、ソ連軍の南部戦線がロストフ・ナ・ドヌの解放作戦を開始した。一方モスクワでは、2号線のザモスクヴォレーツカヤ線の駅が開通したのだった。
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2号線ノヴォクズネツカヤ駅、1940年代撮影

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現在の2号線ノヴォクズネツカヤ駅

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2号線スターリン工場駅(現アフトザヴォーツカヤ駅)、1942年12月31日撮影

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現在の2号線アフトザヴォーツカヤ駅

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3号線スターリン記念イズマイロフ文化休息公園駅(現パルチザンスカヤ駅)、1945年11月13日撮影

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現在の3号線パルチザンスカヤ駅

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3号線スターリンスカヤ駅(現セミョーノフスカヤ駅)の入り口、1940年撮影

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現在のセミョーノフスカヤ駅

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3号線エレクトロザヴォーツカヤ駅。『モスクワ:歴史・建築概観』(Y.サヴィツキー著、ソ連建築アカデミー出版、1947年)掲載

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現在の3号線エレクトロザヴォーツカヤ駅

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2号線ドンバスカヤ(現パヴェレツカヤ駅)、1943年撮影

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現在の2号線パヴェレツカヤ駅

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3号線スパルタコフスカヤ駅(現バウマンスカヤ駅)のデザイン案のひとつ。『モスクワ見学・ガイドブック』(V. ドゥルガチ, P. ポルトガロフ著、モスクワ労働者出版、1940年)掲載

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現在の3号線バウマンスカヤ駅

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