1995年、当時の日本の首相・村山 富市(むらやま とみいち)氏は、戦後50周年にあたり、戦時中の日本の行動に対して反省の意を表した。それから10年後の終戦60周年の時には、当時の小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう)首相も、侵略に対して謝罪している。経済高等学院のアンドレイ・フェシュン助教授は、次のようにコメントしている。
「『外交青書』が発表される前、日本では、現首相が『村山談話』を繰り返す必要があるのか、あるいは、より柔らかいトーンで発言したほうがいいのかについて幅広い議論が行われた。1995年、日本のナショナリストたちは、不必要な『弱腰』だと考えて、村山氏を非難した。右翼側は、『過去を脱却』するべきだとの考えを示し、日本に罪はなく、日本は第二次世界大戦の犠牲者であると述べた。日本の右翼たちは、東京大空襲や原爆投下などを引き合いに出して、犠牲の理論を強調している。右翼は、『東京裁判』が行われ、戦争犯罪人とされた人々に有罪判決が下され、刑が執行されたと語っている。日本が損害賠償として、アジアの一連の国々に巨額の資金を支払ったというのは、事実だ。今回の表現は、もしかしたら、予定されている太平洋戦争終結70周年の首相の演説を前にした『観測気球』にすぎないかもしれない。外交青書は、匿名の文書だ。ここには状況に関する日本外務省の一般的な見解が述べられているだけだ。安倍首相がどれほど誠意を持った演説をするのかは、まだ分からない」。
安倍首相は2012年の就任以来、侵略に対してアジアの近隣諸国に一度も謝罪していない。しかし安倍首相はあるテレビ番組で、終戦70周年の演説で「村山談話」の表現に沿うことはないとした。安倍首相によると、「植民地支配」、「侵略」、「深い反省」などのいつもの言葉から、「深い反省」のみを残すという。安倍首相はまた自身の演説について、伝統に盲目的に従うものとはならず、アジア太平洋地域と世界への戦後の日本の貢献も強調する必要があると指摘した。
フェシュン氏は、日本の政府関係者がどのような謝罪を表明したとしても、日本とその隣国の関係が安定することはないとの見方を示している。なぜなら日本も中国も韓国も、そして、これらの国々の国内の政治勢力や政治団体でさえも、自分たちの目的のために歴史を利用しているからだ。
これらのテーマ以外にも、日本は「外交青書」の中で、「日本の外交と安全保障政策の基盤」とされている日米軍事同盟の重要性を伝えている。フェシュン氏は、時が日本に変更を示唆するだろうとの考えを表し、次のように語っている。
「日本は今、隣国と喧嘩できる状態にはない。日本は本質的に、米国から独立する過程にある。私たちは時代の証人だ。もちろん多くの時間がかかるだろう。しかしこれは、米帝国崩壊の時代なのだ。すでに米国が西と東の状況を同時に管理できる能力がないのは、明白だ。米国は、北アフリカ、中東、ウクライナ危機、ましてや極東を一度に管理するための十分な能力を持っていない。ちょうど今、米国のカーター国防長官が、自国の同盟国に真剣に武装することを説得するために日本と韓国を訪問している。日本はすでにこの道を進んでいる。日本は防衛費を著しく増額し、自衛隊を近代化している。今年にも憲法第9条が改正される可能性もあり、日本が本格的な軍を持つ可能性も排除できない…」。
もちろん中国や韓国をはじめとした日本の隣国が、この変化を喜ぶことはないだろう。彼らは、自国の軍事ポテンシャルを強化しながら、日本の軍国主義の復活や歴史修正主義を批判している。アジアの国々は戦後70年間でしっかりと自分の足で立ち、互恵的な経済関係を確立し、資本と人を事実上自由に移動できるようになったが、歴史的理由による緊張の度合いを下げたり、互いに対する侮辱や非難を和らげることはできなかった。恐らく、それらを望んでいない人たちがいるのだろう。