これは、日本の降伏後に旧満州などでソ連軍によって捕虜として捕らえられ、その後、祖国へ送還するために朝鮮半島北部に移送されたものの、様々な理由で亡くなってしまった日本人に関するものだ。北朝鮮の収容所で死亡した869人の日本兵などの名簿は、近いうちにも厚生労働省のホームページで公開されるという。
氏名、生年、出身都道府県、死亡日が記された名簿は、2006年に人道的な理由でロシア政府から提供されたもの。一方で読売新聞によると、「その事実は公表されておらず、死者についての情報は、遺族でも入手が難しかった」という。もしかしたら公表されなかったのは、日本兵の遺骨を北朝鮮から日本へ運ぶことに関する日本と北朝鮮との協議と関連があるのかもしれない。これは極めてデリケートな問題であり、両国関係正常化に向けた困難なプロセスと関係していると考えられている。数年前から日本兵捕虜の調査に取り組んでいるロシア歴史研究所のセルゲイ・キム専門家は、ラジオ「スプートニク」に次のように語った。
「私は、日本では過去の認識について、ロシア、南北朝鮮、中国と大きな違いがみられると考えています。共通の歴史認識を持つことの難しさは、軍国主義日本がこれらの国で行った戦争犯罪について、日本人が積極的に認めようとしていないために起こっています。例えば日本人は、追悼式典に一緒に参加することを拒否しています。私は、中国での日本軍による戦争犯罪と関連した追悼式典に思いきって出席したのが、最近クリミアを訪問した鳩山元総理だけだったことを知りました。政府関係者の中で1人だけというのは、何かを物語っています。一方で、資金面も重要な意味を持っています。意図的あるいは意図的ではない名簿の非公開については、公表することが日本政府にとって有益ではなかったのではないかと考えられます。なぜならこのテーマがマスコミで取り上げられられれば取り上げられるほど、補償の問題が起こるからです。すなわち、日本政府にとって名簿の公表は有益ではなかったものの、一方で日本政府にはこの問題を無視する権利はなかったということです。」
日本は第二次世界大戦後、約57万5000人の日本の軍人たちがシベリアなどに抑留されたとしている。そのうちのおよそ2万7000人が朝鮮半島に移送され、そこから日本へ送還されたという。なお、この情報はロシア側のデータとは一致していない。キム氏が捕虜・抑留者問題管理局の情報として伝えるところによると、満州でソ連軍によって捕らえられたのは63万9776人だった。しかしその中には、軍人だけでなく一般市民も含まれていたほか、日本人だけでなく、朝鮮人やモンゴル人もいたという。1946-1950年には、51万409人が送還され、その中には、収容所や労働大隊、病院にいた48万8000人が含まれていた。
2万2409人は北朝鮮、遼東半島、モンゴル人民共和国に残り、そこから祖国へ送還された。1950年4月22日、ソ連のメディアは、ソ連が日本兵捕虜の送還を完了したと、公式に発表した。そして、生きて祖国へ戻ることができなかった祖父、父親、兄弟、夫を供養するために、1957年からほぼ毎年、ロシアへ日本の人々が訪れている。キム氏は、彼らの冥福を祈ることが私たちに共通する義務であり、これがロシアと日本を結びつけるものとなるかもしれない、との考えを表し、次のように語っている。
「いま私たちが経験しているのは露日関係の最良のページでないことは明らかです。領土問題は未解決のままで、平和条約も締結されていません。そして日本はロシアに制裁を加えました。しかし、もし私たちが政治的なものを含む大きなことで進展を望むならば、まずは小さなことから始めなければなりません。例えば、『シベリア抑留』問題と関連した何らかの共同の追悼式典あるいは人道的な式典が、そのような小さなものになることができるかもしれません。『シベリア抑留』という用語は、ロシアの歴史学に定着しました。ロシアおよび日本の政府関係者の関心をひくと思われる何らかの文化的追悼式典は、最も鮮やかなイベントになるのではないでしょうか。なお、抑留問題は露日関係において2番目に重要な問題です。一つ目の問題は皆が知っています。現段階でこの問題が解決されていないのであれば、2つ目の問題の解決に取り組んでも良いのではないでしょうか?もし私たちが2つ目の問題を解決できたとしたら、1番目の問題を解決することも容易になるでしょう。なぜなら相互理解の共通の雰囲気がつくられるからです。プーチン大統領が安倍首相とこの問題について会談してもいいのではないでしょうか。この道には、十分に将来性があるのではないかと思われます。」
これは真実だ。第二次世界大戦の参戦者は年々少なくなり、彼らの家族の高齢化も進んでいる。終戦70周年の年に、共同による何らかの人道的なアクションが起こったならば、非常に的を得た、重要で、効果的なものとなるだろう。過去のためでもなく、そして現在のためでもなく、未来のために!