クラッソン氏はインタビューに対し、「ゴットランドはバルト海の戦略的要所だ。我々は侵攻を想定し、これを大陸からの支援が間に合うよう、遅くしたいのだ」と語っている。
事実上、ゴットランド島には一切軍事施設はなく、単なる観光名所となっているものの、スウェーデンの政治家らの中には、仮にゴットランドが占領された場合、バルト諸国にとっては脅威となり、これへのNATOからの支援は間に合わないとの見解が表されている。
スウェーデンは長年にわたり軍事陣営および軍事連合には政治的に組まない姿勢をとってきたため、バルト海沿岸諸国からの支援要請には一切の義務も負わず、約束もなく、NATOとも現段階では関係をもっていない。このためスウェーデン軍が事前行為に取り組むか、あるいはNATOに組するかという問題はすでに解決済み。
1808年ロシア帝国軍は一発の砲弾も用いずにゴットランド島を占領した。上陸した部隊を率いたニコライ・アンドレーヴィチ・ボディスコ提督は完璧な仏語を操り、ダンスのステップは見事としかいいようのないものだった。3週間半後、ロシア軍が去ると、島の中世都市ヴィスビューの市民は泣き悲しんだ。なぜならスウェーデンの将校らの仏語は聞くに堪えないもので、ダンスも全く踊れなかったからだという。