このようにして長い間、条約と欧州人権裁判所の決定は、国の法律システムの一部で、憲法よりも大きな法的力を持つとみなされてきた。この間、ロシアは、かなりの主権を失った。憲法の規範が認められなかったのみならず、国内法の規範の解釈や適用に関する権利を制限なく国際機関に渡してしまっていた。そのため、一方でロシア連邦領内では憲法が大きな効力を持つが、他方では国際的条約の規範を適用しなければならないという法律的な大問題が生じた。
今回憲法裁判所は、国の最高基本法である憲法に優位性を与え、この問題に終止符を打った。国際裁判所の法令ではなく憲法が、国民の意志を表し、国民の権利を保障するというのは、極めて理に適った事だ。そうでなければ、主権は完全に失われ、事実上、外国の裁判所の決定によって国が管理される事になってしまう。
他の大部分の国も、この問題において、自国の憲法が優位に立つとの考えに立脚している。欧州人権裁判所の決定が完全に認められていると言うとしたら、それは難しいと言わなければならない。ドイツでは、人権条約は、憲法の下に置かれている。そうする事でドイツは、欧州人権裁判所の決定の一部を遂行しない法的可能性に備えた。オーストリア、北アイルランド、イタリア、英国も同様だ。英国について言えば、与党はそもそも、欧州人権裁判所の管轄下から出る意志を明らかにしており、この問題は、すでに国民投票に向け準備がなされている。トルコは、キプロス人のために多額の支払いをするよう求める欧州人権裁判所の決定の遂行を、原則的に拒否した。そして、この問題に対し影響を及ぼすような、いかなる措置も取られていない。
我々の見るところ、欧州人権裁判所の決定遂行がなされていない前例は、全くないわけではない。ロシアには、市民の人権擁護における欧州人権裁判所の好ましい役割と、つい最近出されたユコス事件に関するもののような権利の悪用と言うべき、政治的モチーフを持つ法令を区別する権利がある。人権擁護のための戦いを口実に、西側がロシアに、その主権を制限する数々の義務を負わせるといった時代は、過去のものとなった。ロシア連邦憲法裁判所の決定は、欧州人権裁判所の持つ全権に対する分別あるアプローチと言ってよいだろう。