「ホーチミンで市の指導部と面会し、解放博物館を訪れて、私はベトナムにおける米国の犯罪に関するテーマが、国際社会で不当に重要視されていないことを理解た。今年はベトナムの完全解放から40年だ。これは米国の戦争犯罪を非難し、少なくとも謝罪させるよう呼びかけている。私は反米主義者ではなく、米国民を非難しているのではなく、米国人に対するテロを呼びかけてもいない。私が言っているのは、米国の役人の犯罪的な陰謀だ。我々は米国に安全な身の置き所を見つけた犯罪コミュニティの体系的で長期的な大規模犯罪を非難しなければならない。第二次世界大戦時、ナチスは強制収容所の炉で人々を焼いた。米国人はベトナム人をナパームとリンで焼いた。そこに何の違いがあるのだろうか?ナチスの犯罪はニュルンベルク裁判で人道に対する罪に時効はないと判断されたが、米国の戦争犯罪は国際的な法的非難を受けていない」。
「私はこれを良心の法廷と呼ぶ。議員や様々な国の代表者たちが、そのような法廷を設置することは可能だと考えている。私はこの問題をクアラルンプールで開かれるASEAN議員会議とOSCE議員会議に関する同僚との会合で提起する。なぜならこの2つの機関には米軍兵士の犠牲となった国々が加盟しているからだ。法廷に関するテーマは、サンクトペテルブルクで開かれる欧州愛国主義勢力の会合でも提起されるだろう。歴史家、法学者、軍事専門家など、様々な国の堂々たる代表者グループが集まったら、私たちは今後の行動計画の策定に努める。列国議会同盟の場で法廷を開くことを目指すかもしれない。私はベトナムの同僚たちがしり込みしないことを強く願う。人類は米国の誰と問題を抱えているのかをしっかりと示すために、法廷は真剣に、そして論証的に準備する必要がある。ベトナムの友人たちの援助なしにこれを行うのは難しい。なぜなら法廷では、ベトナムの書類が何よりも重要になるからだ」。