日本の侵略にあったアジア諸国は安倍氏が戦争を客観的に評価することを求めている。そして、もたらされた被害に対する、謝罪と、悔悟の言葉を。彼らの期待はかなえられるか。ロシア科学アカデミー極東研究所日本研究室ヴィクトル・パヴリャチェンコ氏は次のように見ている。
「戦勝70年記念の年の安倍首相談話は、歴史、戦争の性格、日本の侵略についてより客観的な理解を促進するようなものとなることがのぞましい」。中国国際問題研究所世界経済発展センター所長ジャン・ユエチュン氏はスプートニクの取材にそう答えている。「日本は大戦中の自分の振る舞いを深く自己分析する必要がある。アジア諸国、とりわけ特段の被害を受けた諸国に対しては、深甚な謝罪を表明する必要がある。私は一人の中国人として、安倍談話にこうした点が盛り込まれるよう、無論願っている」こうのべた上で中国人専門家は次のように述べた。
「日本からのニュースを見る限り、今のところ安倍談話で謝罪がなされるかどうかはっきりしていないようだ。一部の人は、終戦70年の年に日本国の名で出される談話には「謝罪」の文字が記されるべきだとする。別の人は、「悔悟」は必要でも、「謝罪」は必ずしも要らない、とする。これについては日本社会にも一致した見解はない、という感じだ。よって安倍氏の談話の中身は読めない。不確定要素が多すぎる。これまでの彼の発言を見る限り、日本の侵略を謝罪する文言は期待しにくい。しかし彼は先に既に事実上の謝罪を含んだ村山談話の精神を踏襲するとも述べている。どっちに転ぶかわからない。予想は困難だ」
「安倍談話で両朝鮮および中国が完全に満足することはおよそあり得ぬ。日本の歴史的記憶は彼らのそれとは異なる。日本は帝国主義の過去からの禊は済ませた。いつまで泣いて詫びればよいというのか。我々は払うべきものは払った、下げるべき人皆に頭は下げた。こうした立場が支配的だから、中国や両朝鮮、一連のアジア諸国が、日本は謝罪が足りない、損害への補償が少ない、悔悟には誠実さが足りない、と主張しても、日本ではむしろ拒否反応が起こる。他方では、中国、朝鮮半島、その他アジア諸国では、反日本主義が国家イデオロギーの一部をなしている。理由の大半は、日本が20世紀前半に行ったアジア政策にある。もう半分は、少ないほうの半分であるが、彼らが自らの国内問題を、日本の占領と圧迫の結果であるというふうに責任転嫁し、または国民感情を糾合し、興奮させる必要にかられていた、ということである」。