関東軍との戦いで様々な民族からなる大勢のソビエト市民が死亡したが、その死は無意味ではなかった。激しい満州攻勢によって日本側の主力を粉砕し、その戦意を完全に喪失させ、朝鮮解放に決定的な貢献を果たした。我々民族間の伝統的友好関係の基礎を築いたのは今日なお鮮やかなこうした記憶なのである。
しかしその後の朝鮮分断と冷戦によって、ある種のステレオタイプがうまれ、歴史的歪曲さえ行われた。大戦中、ソ連が自ら背負った重い任務が無視されるようになった。朝鮮半島解放に対するソ連の貢献をめぐる「神話」と「実情」について、ロシア科学アカデミー極東研究所朝鮮研究センターのアレクサンドル・ジェビン代表にインタビューを行った。
周知のように、第二次世界大戦末期、米国は、ソ連の参戦がなければ対日戦勝の対価はあまりにも高いものになる、と考えていた、とジェビン氏。
「もし日本が満州および朝鮮に展開していた精鋭らを引き上げさせていれば、戦争はあと1年長引いたかも知れなかった。そうなれば米国も、日本上陸後、何百万という犠牲を出したかも知れなかった。そうならないように、日本撃破にソ連が協力してくれることが、米国には必要だったのだ。他ならぬこの同盟諸国の懇請により、ポツダム宣言には、欧州で戦争が終結したのち2-3か月後にソ連が対日参戦する、と記されたのだ。周知のように、欧州における戦勝は5月9日だ。それからちょうど3か月後にソ連は同盟国としての義務を果たした。それ以外の何の動機もない。こうした事実はすべて、ヤルタおよびポツダムにおける同盟諸国会議で合意された国際文書に明記されている。これ以外の説明は歴史的根拠を一切持たない捏造にほかならない」。
70年前の出来事への解釈アプローチには、他にも争点がある、とジェビン氏。それは朝鮮解放とその後の分断を結びつける試みのことだ。しかしそれが誤った公式であることは、事実と、歴史資料が証明している。それについてはインタビューの第2部にてお伝えする。