ロシア捜査委員会 チェチェンでロシア兵を拷問したとウクライナ首相を非難

© Sputnik / Aleksandr Maksimenko / メディアバンクへ移行アルセニー・ヤツェニュク
アルセニー・ヤツェニュク - Sputnik 日本
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ロシア連邦捜査委員会のアレクサンドル・バストルィキン委員長は、新聞「ラシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)」のインタビューの中で「ウクライナのヤツェニュク首相がチェチェンの暴徒集団に加わっていた」と述べた。

バストルィキン委員長は、次のように伝えた―

「捜査資料によれば、ヤツェニュク氏は、少なくとも1994年12月31日にチェチェンの主都グローズヌイのミヌトカ広場で起きたもの、そして翌95年2月にやはりグローズヌィの市立第九病院地区で起きたもの、この少なくとも2件の軍事衝突に参加していた。また彼は、95年1月7日グローズヌィのオクチャーブリスキイ地区でのロシア軍人捕虜に対する拷問や懲罰行為に加わっていた。

ヤツェニューク氏は、懲罰部隊『アルゴ』で戦った後、アレクサンドル・ムズィチコ率いる『ヴィキング(ヴァイキング)』の戦闘員となった。」

アルセニイ・ヤツェニューク氏は、所謂「ユーロマイダン(首都キエフの広場でウクライナのEU統合を訴え、ヤヌコヴィチ大統領を退陣させた運動)」のリーダーの1人で、昨年2014年2月27日からウクライナ首相を務めている。なお彼は、2007年第二次ヤヌコヴィチ政権下では、外務大臣を務め、2007年から2008年までは、ウクライナ最高会議議長だった。2012年12月から2014年3月4日までは、議会会派・全ウクライナ連合「バチキヴシチナ(祖国)」のリーダーだった。その後9月には「人民戦線党」を立ち上げ、その党首となった。なお同党は、2014年11月の議会選挙以後、ポロシェンコ大統領とビタリ・クリチコが率いる「ペトロ・ポロシェンコ・ブロック」とともに連立内閣の中心を形作っている。

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