シュムシュ島での収集作業でソ連及び日本兵の遺骨42柱見つかる

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つい先日、第2次世界大戦末期、ソ連軍による上陸作戦が行われたクリル列島北端シュムシュ島での、遺骨収集作業が終了した。昨年と今年実施されたソ連および日本の兵士達の遺骨収集作業は、強く深い印象を与えるものである。昨年は、ソ連兵のもの10柱、日本兵のもの6柱が収集されたが、今年はそれぞれ28柱、そして14柱と大きく増えた。遺骨の日本への引き渡しは、10月に行われる。発見された兵士の遺骨は、全部で200キロ以上で、現在サハリンに運ばれる途中だ。

遺骨収集作業の詳細について、社会団体「ロシア捜索運動」サハリン地域支部の責任者アルチョーム・バンドゥーラ氏に、ラジオ・スプートニク記者がマイクを向け話を聞いた-

「我々の作業は、昨年2014年に始められ、今年2015年も続けられた。8月に我々は、9人のチームで作業のためシュムシュ島に出発した。シュムシュは無人島で、そこに行きつくのは容易でなかった。

我々は、ソ連兵のもの28、日本兵のもの14の遺骨をそれぞれ見つける事が出来た。武器や弾薬、軍服、軍靴、ヘルメットなどによる識別作業が続けられている。遺骨の捜索は、1945年8月に戦闘があったセヴェルナヤ丘のふもとで行われた。第一日目は、大変成果が上がった。現在あるメモリアルから15メートルのところで、塹壕内に作られた埋葬場を発見したのだ。そこには日本兵の遺骨があった。それらは横たわった状態ではなかった。恐らく互いに投げ入れられたものと思われる。そこからは、軍刀、そして兵士の1人からは、財布と印鑑のはいったケースなどが見つかった。これらを掘り出すのに2日かかった。大変な作業だった。最終日には、さらに5柱の日本兵の遺骨が見つかった。それらの中には、軍属らしい女性のものも1柱あった。これは、骨格の特徴や、すぐ隣で指輪やロック付のベルトやシガレットケースが見つかった事から分かる。ケースの中には、開けた時には細い葉巻タバコ(シガー)があったが、今残っているのはタバコだけだ。」

作業参加者達によれば、多くの弾薬なども発見された。その中には、非常に珍しいものもあった。例えば、大変良い状態で日本軍のピストルが見つかったが、将来博物館で展示されるだろう。そこから1キロのところでは、挿弾子(銃火器に複数個の弾薬を装填する際に用いる器具)が見つかった。РГ-14やРПГ-43といった手榴弾も発見されたが、これは驚くべき事だった。なぜならこれらは、第一次世界大戦中既に使用されていたものだからだ。この地域では、まだ見つかった事のなかったものだった。そもそも銃弾や弾薬筒、薬莢が見つかるケースは大変少なく、手榴弾が多く見つかった。

バンドゥーラ氏は、こうした状態から「両軍の兵士達は、互いに手榴弾を投げ合って戦ったのではないか」と推測している。

クリル列島での遺骨収集の主な目的は、第二次世界大戦で亡くなった方々についての記憶を将来まで伝える事だ。そしてもう一つ、クリル上陸作戦の詳細を確認する事も重要である。例えば、バンドゥーラ氏

「ソ連軍の前衛部隊が、上陸の際、ソ連の歴史書に書かれているように日本軍の激しい抵抗に会ったという説に懐疑的だ。

バンドゥーラ氏は、次のように推測している-「我々は、前衛部隊が進んだルートを行ったが、何か激しい抵抗があった事を証拠立てるようなものは何も発見できなかった。我々は、上陸作戦が実施された約3キロに渡る沿岸部全てを調べた。薬莢があちこちで見つかったのは、幅100メートルほどの一地区だけだった。あらゆる事から判断して、基本的な戦いは、セヴェルナヤ丘のふもとで行われたようだ」

今回収集された遺骨や遺品はすべて、ユジノサハリンスクに建設中の記念施設に渡される見込みだ。すでに捜索グループは、シュムシュ島での次の収集作業の開始時期を決めつつある。作業の次の段階は、来年2016年6月末から7月初めにかけて開始されるだろう。

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