口先では隣国との関係改善の必要性を訴えながらそれを台無しにするために色々なことをする日本の政治エリートの奇矯な振る舞いについて、モスクワ国立国際関係大学国際研究所主任研究員アンドレイ・イワノフ氏が語った。
「祖国防衛のためには身命を顧みずというのはあらゆる男子の義務である。日本人の観点からは、日本と天皇のために死んだ者は紛れも無く英雄であり、その記憶は守られねばならない。たとえば、靖国神社の名簿に名が刻まれることによって。
第一に、天皇と日本のために死んだ者たち、というものを、改めて見直してみよう。彼らは日本に攻め入ってきた外敵から日本を守るために死んだのか?否。彼らのほぼ全員が、日本から遠く離れたところで戦った。満州であり、中国であり、朝鮮半島であり、東南アジア諸国であり、太平洋の島々であり。そこで彼らは何をした?もしかしたら日本の誰かはこう言うかもしれない、彼らは日本の国益のために戦ったのだと。または、欧米の植民者からアジアの民衆を解放するために戦ったのだと。しかし、そのアジア諸国の民衆の視点からは、日本兵がもたらしたのは自由でなく、新たな支配である、ということになる。日本は白人たちから植民地を戦い取り、解放者としてでなく、占領者として振舞った。せめて南京大虐殺のことを思い出そう。一部の日本の研究者が言うように、たとえ犠牲者の数がプロパガンダ目的により中国側でいささか誇張されていたとしても、それが犯罪であることには変わりはない。
日本が自分自身を守る権利、またそのために自衛隊の力を強める権利を有していることには疑いが無い。残念なのは、日本の政治家らが、そうした取り組みに、靖国参拝のようなイベントを伴わせることだ。そのことによって日本でナショナリズムが高まり、そのことへの危惧が国外で高まってしまう。日本がこのように振舞えば、中国がますます軍事力を強大化させるという形でそれに答えることは明白だ。それでアジアがより安全になるのか。おそらくは、否。そうなることの責めは誰にあるか?中国か?もしかしたら、日本自身ではないのか?」