地中海に面するラタキヤのフメイミム空軍基地には、およそ50機の軍用機が離発着しているが、その中には航空機以外に、複数の攻撃用ヘリや輸送用ヘリコプターも含まれている。
ロシア航空宇宙軍の支援によって、シリア政府軍は、何カ月にもわたった防戦一方の状況から、一度にいくつもの戦線で一転して攻勢に転じた。特に、中部内陸に位置するハマー県の北部、トルコ国境に近いイドリブ、北部の中心都市アレッポ、南部に位置する首都ダマスカス近郊で、政府軍の戦況は基本的に好転した。
アル-バフサ、フォロ、サフサファといった村も解放された。これらは、破壊しつくされ家は一軒も残っておらず、文字通り「幽霊村」と化しているが、中部のハマーと北部のイドリブ、そして地中海沿岸のラタキヤに通じる道が交差する交通の要所であり、戦略的に重要な地点である。
一般住民は、テロリストらの襲撃を恐れて、もう大分前にこうした村を捨て避難している。何らかの理由で、村を出られなかった人だけが残された。シリア軍は、撮影班に、戦闘員らによる住民への残酷な処刑現場の取材を許可したが、そこにはまだ片づけられず、地面に横たわったままの住民の痛ましい遺体が多数残っていた。住民の頭は、銃で撃ち抜かれており、中には手を縛られたままのものもあった。
急襲作戦に参加したシリア政府軍の兵士らは、テロ集団の戦闘員らが、いかにあわてて陣地を捨て逃げ出したのかを、一目で理解した。なぜなら、武器や弾薬、戦闘員らの名前が書かれ、武器のリストが記され、彼らが支援者から受け取っている資金が記入・計算されたノートまでもがそのまま残されていたからだ。
村の住民らは、それぞれの場所に避難した。まだテロリストの魔の手が伸びていない、近隣の村の友人や親族のもとに逃げた人も多かった。ラタキヤ県へは、シリアの他の地域から、全部で150万人が逃げ込んできた。農村部の住民達は、自分の家や別荘などに、テロリストに占領された北部のアレッポやイドリブ、北東部のラッカ、東部のデイルエッゾルなどから逃げてきた人達を住まわせている。ラタキヤの大学や学校にも、特別の避難所が開かれた。
ラタキヤの県知事は「県だけでは、こうした難民の流入を処理しきれない」と訴えており、ロシアは、すでに人道援助を開始した。ラタキヤに多くの難民が集まっているのは、ここが地中海に面し、気候も温暖で、土地も肥沃なためだが、何よりもまず、シリアでここが今一番安全だからだろう。特にロシアによる空爆が始まってから、ラタキヤの安全は、これまでないくらいに保障されている。