国家安全保障会議のメンバーらはテロ対策措置を話し合い、日本へのテロリスト潜入を防止する策などが取り上げられた。
これについてモスクワ国際関係大学、国際調査研究所の上級研究員、アンドレイ・イヴァノフ氏は、テロの脅威を押さえるためにはこうした策ないし警察、特務機関の活動強化だけでは不十分との見方を示し、次のように語っている。
まして今、ISと闘うために国際社会の尽力を結束する必要性を認めながらも、ケリー米国務長官の口を代表すると米国民は依然として、シリアの悲劇を生んだ張本人はアサド氏だと名指しで非難しており、アサド氏は「テロリストを集めている」とまで語っている。ケリー国務長官の出した帰結はアサド氏は退陣すべきというもので、シリアの移行期の連立政府形成および大統領選挙の準備にアサド氏を参加させることすら拒んでいる。これはつまり、米国にとってはシリア政策、いや、シリアに限らず、中東のほかの諸国においてもその主たる目的は依然として、まず米国にとって都合のよい人間を政権に送り込むための、現地の体制転換でありつづけていることを示している。このなかでは、その政治体制の国の国民の利益や権利は平和的発展や安全保障の権利を含め、全く考慮されていないのだ。これが不服をもつ人を大量に生み出し、そしてテロに加わる人の列が増えていく。
こうした米国の政策の囚われの身となりつつあるのがその連合国だ。これを目に見える形で示したのがパリでの連続テロだった。しかもそれは初めてのテロではない。テロは英国でもスペインでも起きている。このほかテロの犠牲には中東で働く日本人も巻き込まれるようになってきた。ここで重要なのはこれらの諸国はみな、米国の行なう中東諸国に政権交代政策を支持していたということだ。だが、英国人、スペイン人、仏人、日本人もみな、米国がかつて中東の政権交代に利用したテロリストらの手で殺されていった。
この事実は本来であれば政府を、それが米国政府でなかろうとも、せめて欧州諸国、日本の政府を揺り動かし、政治的目的のためにテロリストを利用してはならないと悟らせるはずだ。なぜならばテロリストには「中道」もなければ、「善い」テロリストもないからだ。いかなるイデアでそれを正当化しようとも、丸腰の人間を殺害する人間に「善人」はありえない。
これを「文明」国の欧州も悲しむべきこととは思ってこなかった。進行する事のおぞましさが欧州の意識に到達したのはたった今、その心臓部であるパリがテロでやられた後のことだ。だがテロ根絶への正しい道を見つけるには、生きる権利を持っているのは仏、英国、米国市民だけではなく、シリア人もアフガン人もイラク、ドンバスの住民も同じように有していることをどうしても理解せねばならない。なぜなら人間には一級、二級の違いはないからだ。それはテロリストに「善い」者がいないのと同じなのだ。