77歳の三宅氏は7歳のとき広島で被爆した。少年時は放射線のため体を重く病んでいた。後年手術を受けたが、最近まで体験には口を噤んできた。
「被爆したという自分の不運に対する正当化を探したくなかった」とデザイナーは語っている。
広島に原爆が落とされたとき、氏は学校にいた。自宅は爆心から2.5㎞のところにあった。翌日になってやっと帰宅すると、上半身が火傷に覆われた姿の母親を見つけた。4年後、氏は骨膜炎を発見されるが、奇跡的に助かる。快癒後すぐ、母が亡くなった。彼にアドバイスをし、デザインに関する励ましの言葉を述べた年長の友人たちは、みな放射線がもとで若くして死亡した。
「自分も長くは生きない、30歳40歳までにできることは全部やろうと思った。原爆のことを理由にしない。そう生きることを固く決めた」という。
「この原爆を体験した人が、それについて語りだせば、きっと世界は、たとえわずかでも、変わる」と思った、だから自分の体験を語ることにしたのだ、と三宅氏。
2009年、同氏は米国のオバマ大統領に宛て、広島への招待状を送った。「どう生きるべきかを各人がそれぞれ決める時代が来た」からだ。広島当局は核保有国首脳に対し広島および原爆資料館を訪問するよう常に呼びかけているが、現役の指導者は誰も招待を受理していない。
1945年8月、米国のパイロットらは広島と長崎に原爆を投下した。