裁判まで加藤氏はソウルで事実上、自宅に軟禁状態に置かれていた。加藤氏は2014年8月、ウェブサイトのコラムに掲載した記事の中で、パク大統領はセウォル号沈没の際にどこかの男性と一緒にいたため、迅速に緊急対策本部を立ち上げることができなかったと書いた。パク大統領が本部に現われたのは事故について最初の報告が入ってから7時間も経過していた。しかもその時パク大統領は、なぜ救命胴衣をつけた乗客の捜索が難航しているかという問いを発しているが、これはこの時までに、セウォル号が乗客を乗せたまま沈没したという情報が入っていたにもかからず、大統領はそれを把握していなかったことを如実に表している。
コラム掲載後、加藤氏はコラム執筆には噂を流布しようという悪意はなく、こうした噂が社会で広範に話し合われているため、これについて書かねばならないと思ったと自身の判断を語っている。原告側は加藤氏に1.5年の禁固刑を求めていた。
日本、韓国の社会ではこの事件は言論の自由を擁護するコンテキストとして捉えられていた。17日、加藤氏は無罪判決を受けた。