「アラスカでは、ロシア時代の歴史について、ロシア国内より関心が高い」米歴史家アラン・エングストローム氏に聞く

© 写真 : PRODale Musselmanアラスカでは、ロシア時代の歴史について、ロシア国内より関心が高い
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アラスカ発見275周年にあたる今年、モスクワで、ロシアの偉大な航海士で探検家のヴィトゥス・ヨナセン・ベーリングとアレクセイ・チリコフの功績が再び思い起こされている。彼らは、ロシア帝国の歴史において最も偉大な業績であるアラスカ発見を成し遂げた。しかし1867年にはもう、アレクサンドル2世は、アラスカを米国に売却してしまった。これは、ロシア帝国の対外政策の中で、最も矛盾に満ち謎めいた出来事の一つであり、今日に至るまで、ロシア社会では評価が定まっていない。

地理上発見の大航海時代、ロシアの航海士によって発見されたアラスカに関する歴史について、スプートニク日本のアンナ・オラロワ記者は、2005年から2009年にかけてロ米共同で行われたアラスカ調査旅行に参加した米国人歴史家のアラン・エングストローム氏に、電話でお話を伺った。エングストローム氏は、1989年に初めて研修生として当時のソ連を訪れ、これまで何度もロシアを訪問し、ロシア語に堪能で、ロシアの歴史にも深く通じている。

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オラロワ記者はまず「ロシア人探検家によるアラスカ発見に興味を持つようになったきっかけ」についてエングストローム氏に聞いて見た―

「私は、アラスカの州都ジュノーで生まれた。この町が私の故郷だ。そこで私も、私の父も生まれた。私の曾祖父は、アラスカがロシアによって売られてから20年後に、ここにやってきた。彼はスウェーデン人だった。所謂『ゴールドラッシュ』の時に、ここに来たのだ。アラスカには今でも、ロシアの文化が残っているし、ロシア正教会もある。我々は、ロシアの痕跡をアラスカに見る事ができる。ロシア風の地名もある。だから私はいつも、ロシアの歴史に興味を持っていた。」

次にオラロワ記者は、エングストローム氏に「2005年から2009年にかけて行われたロ米共同のアラスカ沿岸調査旅行は、どんな課題を掲げたものだったか」を聞いた。

「2005年我々は、ロシアの同僚達と共に、ロシア領アメリカ、つまりアラスカの歴史の中で最も大きな謎に取り組んだ。1741年に行われたベーリングとチリコフの第二次カムチャッカ探検航海に参加した船員達に、一体何が起こったのかという謎だ。私の故郷の町ジュノーにほど近いところで、2隻のボートに乗った15名の船員が行方不明となった。彼らに何が起きたのか、正確な事を知る者は誰もいない。恐らく彼らは、溺死したのか、あるいは地元のインディアンに殺されたのかしたのだろう。調査旅行中、我々は、事件が起きた正確な場所を捜索した。」

続いてオラロワ記者は「アラスカでは、ロシア人に対する関係はどうか」聞いた―

「現在アラスカに住んでいるロシア人は大変少ないが、ロシア人に対する関係は大変良い。ニコラエフクスクという村には、故儀式派の人達が住んでいる。この村は、アラスカ最大の都市アンカレッジからあまり遠くないところにある。アラスカには、ロシア風の地名が多く残っているし、ロシア風の通りの名も多い。アラスカに住む我々は、ロシア領時代のアラスカの歴史や、アラスカのロシア人に対し、ロシア本国よりもっと関心を持っていると思う。ロシア領アメリカ、つまりアラスカの歴史は、我々現地に住む住民にとって、大変重要なのだ。」

最後にオラロワ記者は「アラスカ売却により、ロシアは何を失い、米国は何を得たのか」、エングストローム氏に質問した―

「ロシアにとって、もちろんそれは、損失だった。しかし当時、英国からの脅威が存在した。アラスカは、英国が奪い取るかもしれなかった。米国は当時、720万ドルを支払ったが、それは、後で考えればわずかなものだった。アラスカを買い取って10年から12年後に、我々はそこで、2100万ドルもの金を発見したからだ。アラスカは、天然資源を持つ巨大な州だ。現在そこには、石油、木材、金など数多くの鉱物そして最高の漁業資源がある。アラスカは、米国経済の大変重要な一部だ。アラスカが州となったのは、それほど古くはなく、1959年の事だった。現在アラスカは、米国でも最も豊かな州だ。原油について言えば、予算の89%を、それに依存している。それゆえ今、アラスカでも、原油価格下落のあおりを受けて、予算の危機が深刻だ。」

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