ロシアの救助隊は、大きな被害を受けた仙台市の境から北に4キロの場所にベースキャンプを展開し、任務に着手した。ロシアの専門家たちは、がれきの撤去や、化学物質ならびに放射線安全管理のための機器などを装備していた。救助隊は、救助犬チームや医療関係者と一緒に活動した。
ロシア非常事態省消防・救助部隊局のアンドレイ・レゴシン次長は、「私は日本に到着した外国の救助隊の中でも最も大きな部隊の一つであった225人からなるオペレーショングループを率いた」と述べ、次のように語っている‐
「私たちの任務の中には、各国際救助活動と同じく、人々の救助というものが含まれていました。私たちは津波の被害を受けた地域で約2週間がれきの撤去を行いましたが、残念ながら生存者を見つけることはできませんでした。住民の方々は私たちに理解を持って接してくださり、地元の警察は完全なサポートを提供してくれました。日本人は、強い国民です。災害は巨大でしたが、彼らは耐え抜きました。」
2011年の春に日本を襲ったこの恐ろしい災害を、ロシア人は自分のことのように受け止めた。ロシア全土が日本の人たちを心から心配し、各人が自分の力が及ぶ範囲で日本の人たちの助けになりたいと考え、行動した。大勢のロシア人が、家を失った日本の人々に自分たちの家に住むよう申し出た。ロシアの著名なアーティストたちは、日本の人々を応援するための慈善コンサートを開いた。ロシアのスポーツ選手たちも、日本の人たちへの連帯を示した。モスクワにあるスタジアム「ルジニキ」の指導部は、日本に多額の寄付をした。ロシア正教会も、日本への寄付として3900万ルーブル以上を集めた。
ロシアには、「不幸の時に誰が友なのかが分かる」という諺がある。ロシア人と日本人は困難な時や苦しい時にはいつも助け合ってきた。両国民が友情や友好を感じるために新たな不幸を待つ必要はないはずだ。私たちが常に良好な善隣関係にある隣国であり続けること邪魔しているのは、一体何なのだろうか?
ロシア非常事態省は2011年3月、いち早く日本に支援の手を差し伸べた
ロシア非常事態省は2011年3月、いち早く日本に支援の手を差し伸べた