シャネルに関する書類は、特にマドリードの匿名筋がフランスのレジスタンスに宛てた書簡。書簡では、「疑わしい」と考えられていたシャネルは1942年から1943年の間、ドイツ大使館員として働き扇動や諜報活動の疑いが持たれていたハンス・ギュンター・フォン・ディンクレイジ男爵の愛人でありスパイだったと述べられている
フランス諜報機関の古文書の保管を担当しているフレデリック・クギナー氏は、記者団に、ドイツの諜報機関(「アプヴェーア」)は、ココ・シャネルを自分たちのスパイとして登録していた。シャネルは情報源あるいはドイツ人の為に何らかの活動を行うことができたかもしれない。一方で、シャネル氏が自分のステータスについて知っていたかどうかは不明のままだ」と説明した。