その部屋には有機物質や金属がある模様だという。
イギリスのエジプト学者ニコラス・リーヴス氏によれば、ツタンカーメン廟には、ふさがれ、塗りこめられた通路が、あと2つある。このことは、ツタンカーメン廟がもともと女王ネフェルティティのために建設されたということを物語っている、という。しかしツタンカーメン王が霊廟の完成前に予期せず死亡したため、ネフェルティティ廟を女王の死から10年後に開き、そこにファラオのミイラを埋葬したのだ、とリーヴス氏。
ツタンカーメン廟は1922年、英国の考古学者によって発見された。発見前まで一切盗掘被害にあっていない点で、たちまち有名になった。
墓棺もネフェルティティのミイラもまだ見つかっていない。女王の外見については、有名な胸像をはじめ、多数の彫刻や絵によって推測がなされている。