歴史学の博士で戦略研究センターの専門家、第二次世界大戦歴史家協会理事会メンバーのアナトリー・コシキン氏は次のように述べた。
「1944年の終わりまでに、日本の政治家や軍事指導者らは、ドイツが第二次世界大戦で敗北するという結論に達した。これに関連して、ドイツの敗戦後にソ連がどのような立場を占めるかについて多くの懸念が生まれた。今日では、日本の現代史家や政治家は、日本政府が1945年2月に行なわれた歴史的なヤルタ会談の決定を知っていたことを否定している。実際には、日本人はスターリンがドイツとの戦争の終了後2-3ヶ月で極東における米英の同盟軍を支援するという秘密情報を取得していたという証拠がある。
それは、日本軍がそうした状況を甘んじて受け入れる準備ができていたことを意味しているか?反対に、日本政府は、このような展開を防止するためにできるすべてを行うことを試みた、とコシキン氏。
「日本は、ドイツの巨大な軍事機構を破ったソ連の強力な軍隊が加われば、日本に有利な条件で戦争を終わらせる見込みは全く断たれると、十分に認識していた。よって1944年の終わりに日本外務省はソ連が興味を示しそうな譲歩のリストを策定した。ソ連が中立を守り、日本に対する戦争に入らないように、だ。その中に、それまで日本領だった領土を自主的にソ連に引き渡すというものもあり、興味深い。具体的にはサハリン南部とクリル諸島だ。これら領土を明け渡すことでソ連の参戦を予防しようとしたのだ。ドイツ降伏後も自らの責任を少しでも減らすように、あらゆる手を尽くしてソ連との友好関係を演出しようとした。たとえば日本は意図的にソ連がかつて対ドイツ戦線で使用できたはずのソ連の巨大な力を釘付けにした。ソ連にとってはこのことが大幅に犠牲者の数を増加させ、第二次世界大戦を延長させたのだ。
どころか、ソ連が不可侵条約を破棄したとき、日本軍指導部は、日本に対するソ連の参戦が間もなくあると知りながら、早期に第二次世界大戦を終わらせるための行動を特にとらなかった。日本史専門家コシキン氏はそう語る。