日本の無条件降伏をもたらしたのは何か:原爆か、それともソ連参戦か?

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5月9日の大祖国戦争における対ナチズム勝利71周年を記念して、スプートニク日本記者は、ロシアの軍事史専門家アナトーリイ・コーシキン氏に一連のインタビューを行った。

なぜ戦争でソ連が中立を守るという日本の見込みは裏切られたのか - Sputnik 日本
なぜ戦争でソ連が中立を守るという日本の見込みは裏切られたのか
事実上、戦後ずっと、日本と世界の世論においては、日本の無条件降伏を導いたのは、広島と長崎への原爆投下であるとの意見が支配的だ。いかなる軍事インフラも、実際のところなかった日本の2都市に、その破壊力において類を見ない、野蛮でかつ残忍な爆弾を投下したことは、人類に対する犯罪と言ってよいものだ。しかし米国内では、今も、戦争の終結を早め、犠牲者の数を減らすことになった、あの原爆投下は完全に正しかったと考えられている。

奇妙な話だが、戦後、日米が戦略的パートナーとなってからは、原爆投下に関する米国の見方が、日本社会でも実際のところ、浸透している。他のいかなる歴史的解釈も、幅広く討議されることはない。

以下、ロシア戦略研究センターの専門家で、第二次世界大戦歴史研究家協会理事、自身日本学者でもあるアナトーリイ・コーシキン氏の、意見を皆さんにご紹介したい-

「理由は、この説を全体として米国人達が支持している点にある。そして日本の歴史家達も、それに追随している。広島・長崎への原爆投下後も、実際のところ、日本政府には、そもそも降伏するつもりなどなかった。逆に、日本の国土と国民を、敗北が決定づけられた本土決戦に向け準備させるつもりだった。例えば『神風』の父とされる人物は、戦いに向け2千万の国民は立ち上がり、国の名誉を救うため自分の命を犠牲にせよと述べていた。実際のところは、まさにソ連の対日参戦により、日本の政治家のみならず軍人達も『さらなる抵抗は無意味だ』と理解し、あらゆる人達が望む結果へと、事態が動いたのだ。

1945年8月15日の天皇の勅語の中には、確かに、原爆についての言及がある。しかし別のやはり重要な、兵士や水兵達に対する勅語の中では、原爆投下については何も述べられていない。その代わり、そこでは『ソ連の対日参戦後、もはや戦いを続けることはできない』とはっきり述べられている。

原爆は、日本のエスタブリシュメントに対しては、実際心理的に強い影響を及ぼしたと考えられる。しかしソ連軍の攻撃により壊滅的打撃を受けた後、日本政府と軍部は、何よりも本土への、とりわけ北海道へのソ連軍の上陸を恐れていた。ソ連軍上陸は、朝鮮のように日本が分割される状況を作り出すものであった。まさにこのことが、降伏の現実的土壌を準備したのだと思う。なぜなら日本はもう、自分達には抵抗する可能性など事実上ないと理解していたからだ。

『実際、何が日本を降伏へと導いたか』という問題については、現在に至るまで、欧米、ロシア、中国の歴史学者の間で論争が続いている。米国人は、自分達の説が絶対だと主張している。広島・長崎への原爆投下70周年に当たり行われた世論調査では、アンケートに答えた米国人の60%が、原爆使用は、全く正しかったと考えていることが分かった。

しかし。この調査では、アジア太平洋地域で平和が取り戻されてゆく過程で、ソ連が演じた重要な役割がなぜか忘れられている。原爆ではなくまさにソ連兵が、大きな役割を果たしたのだ。

様々な側面での役割を、過大評価も過小評価もしてはならない。そして満州での作戦が展開され、朝鮮やサハリンそしてクリルが解放された際、12500人のソ連の将兵が命を落としたことを思い出す必要がある。しかし次のことも、忘れてはならない。それは、もし日本政府が、もっと早く戦争をやめていれば、日本は、何十万もの同胞の非業の死を避けることができた、という事である」。

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